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2016年3月26日 (土)

あそび (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

あそびを通して様々なことを体験します。

それに限度はありません。

自分の遊びの延長が後の自身の役割や仕事に繋がってくるのです。

ストレスを解消するための遊びはなくなります。

ストレスがないので。

日々、何かを我慢して我慢して!それを解放するための遊び、娯楽ではなくなります。

日々、まわりとの関わりの大切さや自分が何者なのかを知る遊びがメインとなります。

遊びを通して自身の真価を発揮し、まわりとの関係性をよりよいものにする技をみがき、

自分だけが楽しいのではなく、まわりすべてが楽しめる状態を作り出す技もみがけます。

まあ、いわゆる天国を作り出すということです。

理由:

分離している世界でのあそびは、先に書かせてもらったように

ストレスを解消するためのあそびがほとんどです。

(でも残念ながら解消されていないのですが)

しかもそのあそびの仕方もかなり制限、制約があります。

それをやぶると犯罪者とよばれます。

ではなぜ、あそびが制限されるのでしょう。

それは単純に、危ないからですね。

あそびに線をひいてそれ以上先に行かないように!

だって危ないでしょ!

と、なっているからですね。

ではそもそも

なんで「危ない」のでしょう?

それは「つねに危険である」が前提になっているからです。

もちろん、そう教えられてきたおかげもあります。

それに普通にまわりを見たらわかります。

とても安全!とは言える状況ではありません。

自由に遊ぶとその先が危険!!

車があぶない!

高いからあぶない!

暗いからあぶない!

変人かもしれないからあぶない!

あぶないからあぶない!!

もうきりがありません。

(、、、、分離の意識のなせるわざです、、、、)

車は歩行者優先ではなく歩行者殺しとと言えるスピードでかっ飛ばしています。

「ここから先、危険!」と札を出しておけばあとはそのひとの責任になってしまう危険なままの工事現場。

暗く誰も見ていなければ何をされるかわからない治安の悪さが当たり前の夜。

他人は信用できないからあぶない!と決意するが、結局その自分自身を信じることのできない矛盾の様。

今、地上ではこのような感じで「危険」が生み出されています。

分離している意識から生み出される世界では「安全」「安心」という概念や有様も分離します。

安心を求めて続けていますが、残念ながら「安心」が形にならない世界なのです。

そして

その「つねに危険」を少しでも回避するために様々な制限を設けているわけです。

子供達の「あそび」とはそんな制限に関係なく心のままに動くことですから

「危険を回避しないと!」と思っている側からしたら

「制限を無視するのはだめよ!あぶないよ!」となります。

「自由は危険でしょ!」と

子供達には伝えます。

では

どのようにしてその危険な世界を作り出すのかさらに掘り下げてみます。

まず何に対して危険と感じるのでしょう。

そのために危険とされる世界の根元に目を向けてみましょう~

まず「危険」というは具体的に何(根元)が危険なのでしょう。

簡単ですねっ

「命があぶない」ということです。

命(身体)に関わってくるので、危険な自由を封じて、身体の安全を確保しようとするわけです。

つまりここが分離の世界を構築してる根元あたりの部分でもありますが、

この「命」は「肉体」が動かなくなったら終わり!という意識です。

これがもととなって、遊びだけではなく様々なものが制限されています。

肉体が傷つかないように!滅びないように!と色々バリケードを作ります。

この肉体が傷つかないように!

という意識自体はなにも問題ありません。

だって、事実その方がよいわけです。

傷ついて弱っている体では自由に遊べませんからね。

しかし、分離の意識から

「この身体がなくなったら終わりだ!」って決めつけているおかげで

自由に~!というよりも、できるだけあぶなくないように~~という意識が台頭するわけです。

「危険」への、強く限定させた意識が今のこの世界を作り出しているわけです。

しかし、これはえらく矛盾した世界なのです。

さきにも書きましたが、

例えば

あぶなくないように~~と本当にそれを優先するのであれば

世の中の車やスピードが出てあぶないものは一切なくせばよいわけです。

なくさなくてもすんごいゆっくりにするとか。

絶対に接触しないようなシステムにするとか。

、、、、、、

でも~~

まったくなくならない!スレスレをビュンビュン飛ばしてる!

危険ではなく、安全に!

と言うのであれば、そういった危険がつきまとうものを改めればよいのですが

それを改めることができない、、、、さま。

子供達を安全に遊ばせたいなら、もっと広~い公園などを増やせばいいのですが、

道路ばかり広くしてます。

なんとか小さな公園があっても「あれしちゃだめ」「これしちゃだめ」と。

なんだ?ここは?

ただ、ぼーっとしてないとだめな場所???

公園の意味知ってるの?

、、、と言わざるを得ないわけです。

(結果誰も遊ばなくなり、使わないなら無くしてもいいじゃない、、、とかなるわけです)

こういった意味のわからない矛盾のさまが起きてくるのも分離の世界の特徴なわけです。

さらに掘り下げちゃいますが、

では

危険でスピードの出るものをさらに危険に扱うのは、なぜか?

これもさきに書きました「ストレスを解消するため」です。

スピードを出して味わったことのない感覚を得るためや、それをまわりにアピールしたりします。

その感覚を得ることで今まで自由を封印していたものが解放された感じになるのです。

それが少しでも癒しになっていると思うわけです。

危ないとわかっていてもそれをしてしまうのは

やりたいことをできないストレスが溜まりすぎて溢れてしまっていて

さらにそれに気づいていない様です。

何かその危険をクリアーすることが自分のためになるんだ!と思い込んでいるのです。

まあ、それはたしかにそうなのですが、

「分離をもとにした意識」でそれに対して向き合うのと、

「すべて繋がっていることをもととした意識」で「危険をクリアー」と向き合うのでは

行動が大きく変わってくるのです。

むちゃをするのか。。。

身の程知って慌てずチャレンジするのか。。。

そしてその動きはもちろんまわりにも大きく影響します。

まわりをびっくりさせて疎まれるのか。

まわりに賞賛されて歓迎されるのか。

分離の世界にいると、まわりに与える影響を見失う様は当たり前になります。

「危険だ」ということで自由を封印されているので、それのストレスが溜まります。

それを日々なんとか解消するための策をこうじます。

でも、その策の自由度も制限されているので、真の解消にはならない。

そうやって日々が過ぎていく、、ように設定されているシステム。

で、解消できないものがさらに溜まり、、、、

爆発。

まわりは大混乱。

でもまたすぐにたまってきて、、、

でも今度はそれを、ぐうううっと封じ込めてなかったことにするけど、、、

我慢できずに、大噴火。

まさに自分もまわりも地獄絵図。

繋がっている世界では、まわりに与える影響を無視することはありえないので

それを考量したものになります。

例えば

交通の手段と遊びの場が交差して互いが危ない環境などそういった状況は生み出しません。

ストレスを解放するための遊びではないので、まわりに対して害になってしまうような遊びは生み出されません。

繋がっていることが前提ですと

交通も自由な遊びもスムースに行える環境を作り出すことが可能なのです。

子供の頃から、真の遊び、、、自由な遊びを体験していけば

自由に自身を表現し、楽しみ、進化する技を身につけることができますので

結果、その遊びが可能な環境を生み出す能力も身につくのです。

そうなると、、、

自由は危険ではないのです。

自由を封じることの方が危険なのです。

遊びは危ないものではないのです。

遊びを封じる方が未来が危うくなのです。

すべてがスムースに、そして自由に活動できる場、、、、

それは

まあ

天国ですよね。

そこで楽しむことが真の遊びです。

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