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2016年3月26日 (土)

教育 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

教える、、、というよりは「伝える」という表現になるでしょうか。

繋がっている領域ではありとあらゆるものは「伝わっていく」ことが前提なので

歴史などもありのままの真実を伝えます。

何かの都合で真実を歪め、隠し、伝えることはありません。

そして

それは学校や施設だけで行われることではなく

それぞれが生活する中でどこででも機能していることです。

「伝える側」と「受ける側」に立場の違いはありますが、

それに上下の差はありません。

「先生、マスターであるから偉い」

「弟子は偉くない」とはなりません。

マスターであろうと弟子であろうと

それぞれの立場から見れば、ともに進化の途中にかわりはないからです。

理由:

「すべてのこと、すべての事柄が繋がっていること」が前提での「教育」と

「すべて分離している」ことが前提での「教育」には大きく違うところがあります。

「すべてが繋がっていて、伝わる」ことが前提の場合

学校などでの「教育者」という存在は

その事柄に対しての「達人」「マスター」であることが必須です。

見習い中の状態では多くの人にその科目の内容をよりよく伝えることはできないからです。

いま地上の教育現場ではマスターでない人が「先生」と名乗り、よばれ、

たくさんの子供たちや人に「教えて」います。

そのために様々な弊害がうまれています。

そんなことを言うと、

「自分はしっかり教えてる!」

とおっしゃる先生もいるかと思いますが、

繋がっている領域から見ると、やはり「??」「え~~?ほんと??」となってしまいます。

なぜなら、

よりよく人生を歩み、進化していくための「多くの教え」のはずですが、

それとは逆の様をほとんどの人が体験しつづけているからです。

精神的にも、肉体的にも、まわりの環境も、、、、

教えを生かせず、、、どうしたらいいんだろう??、、、と停滞してしまっています。

そして

夢を現実化できずに体も心も衰えて動かなくなります。

で、教えでも「人間とはそういうものだ」「そうなっていくものだ、仕方ない」と伝えます。

、、、でも、それはちゃんと受け止められているわけではありません。

伝える方がもう言っちゃってますが、、、

「仕方のないことだから」と、

自分が劣化しいずれ止まってしまうことを受け入れています。

そしてそのときが来るまで忘れているように心がけます。

、、、だって、いやですよね、

楽しい瞬間があったとしても「どうせ終わるし」って常に考え、感じていたら、、、

、、、、、、

、、、、

、、

「たっくさん!!の教え」の結末がそんな状態になってしまっているせいで

今の子供達や若者はその先の光が見えず、それに対して心が向かない、

または向かなくなってゆくのです。

そして大人たちが提供する事柄に興味がなくなり

それを壊そうとしたり、それとは違うことをしようとしたり

その中で一瞬でもいいからまばゆい光をなんとか得ようと必死になるのです。

その結果、、、

衝突し、爆発し、自分やまわりに大きく傷をおわせ

大人たちに拘束され、強制され、そしてまた問題がなにも解決していない世間に送り込まれているわけです。

そんな状態で、さらにはこの状況を解決できずにいるのに、

これでもちゃんと「おしえてる!おしえた!」とおっしゃるのでしょうか?

地上では「細かくたくさん情報を持っている人」のことを

「先生」と呼んでいます。

もちろん、多くの情報を持ち、引き出せることは

先生の要素としてはとても大切なことではあります。

それに情報だけではなく、すごい技、特殊な技をお持ちの「先生」もおられると思いますが

繋がっている領域から見ると、、、、やはり、、残念!

おしい!

という感じでしょうか。。。

その素晴らしい技をもったお方は素晴らしいわけです。

そのお心もそれから導き出される技も。

しかし、それをまわりによりよく伝える技は、、、、

残念ながら、、、、

みがかれず育まれていない状態です。

たとえ後世に残すべき素晴らしい技だとしても

分離を前提とした意識でそれに取り組むと

結果、分離や分解していく様を生み出すのです。

これは

マスターであるはずの人が弟子の心を読み取ることができない様子。

弟子もマスターの心を読み取れないまま間違った方向に進む様子。

ということになりますが、

今、

学校だけではなく

ありとあらゆる組織の中でおきている現象のはずです。

どちらが先、、、?

マスターの品が下がったからだ!

弟子がひどくなったからだ!

という話ではありません。

双方で同時に起こしている現状です。

そして現在

双方とも

正直この先、大丈夫?となっている状態です。

繋がっていることが前提での教育現場というものは

こういったことにはなりません。

繋がっている領域でのマスターとは

たくさんの情報を知っているだけではありません。

また、素晴らしい技を持っているだけではありません。

その情報を生かし、さらに素晴らしいものを形にすることはもちろん

その技と心を学びたいという人達によりよくそれを伝えることができます。

さらには、その子供達などの様々な疑問や問題も解決できるか

その方法を導き出すことが可能です。

たとえ自身の専門以外の分野でも

必要な道をしめすことができます。

そしてもちろん

専門の分野でも情報をよりよく、制限なく、活用しています。

、、、、

なにに活用しているのかと言えば、

それは「平和」を形にするためです。

もちろん、自分や所属している組織のためにも活用しますが、

まわりの存在たちすべても生かされる情報と技の使い方になります。

すべての存在がよりよく進化し、平和に生命活動できるための

心と実践を形にしています。

その道をともに歩もうとチャレンジしてきた弟子、、、

それは友であり、子供でもあるのです。

その存在たちに自身(マスター)の歩んできた道、

そしてその結果の今の姿をすべて伝えるのです。

そのように集ってきた弟子たちは

ともに競うことはあっても、出し抜こうとしたり

蹴落とそうとしたりすることはありません。

そんなことをするよりも、自分もライバルも最高の状態で競ったほうが

進化できるからです。

マスターの地位を狙って、、、とかもありません。

必要な存在が必要なタイミングで必要な時間マスターに選ばれるだけです。

そういったことを狙うこと自体、その技の本質とはなにも関係ないからです。

マスターもさらに進化するために新しい領域に移動していくことが自然です。

マスターと弟子の関係性が非常にシンプルです。

マスターは弟子にそのままを伝えます。

弟子もマスターにそのままを伝えます。

そして互いを知り、対話し、進化していくのです。

それが真実の教育というものです。

「あるがままを伝える」

「あるがまま」とは「真実」「現実」ということです。

見た目だけや、表向きだけ、、、そして

それに潜む闇は隠される、、、

そのような情報は「真実」とは言えません。

今、地上の教育現場(だけじゃないのですが、、、)では

真実ではないものが伝えられています。

その分野の情報もそうですが、

実際は「先生ではない人が先生の振る舞いをしている」わけです。

しかしそれとはわからないようにしているわけです。

わかると自分の立場がなくなってしまうから

必死に見えないように隠して、いろいろ振舞っている、、、

これが、真実の姿のはずですが、、、

多くの先生方はそれをお認めにならないか、認めたとしてもその振る舞いを止めないでいます。

つまり

「表向きだけ取り繕い、それを隠し、先生のように振舞って何かを教えてる、、、」

が真実であり、それが伝わっているのです。

さらに伝わった方もそれとはわかっていません。

隠しているので。(正確には隠せていません)

この状況は繋がっている領域から見ますと、、、、

もう、、、

めちゃくちゃです、、、、

そのめちゃくちゃな様をそうではないかのように伝え思い込もうとしている様が

さらにめちゃくちゃです。

なので、伝える側も

伝わっている側もめちゃくちゃになってくるのです。

それが地上の教育現場で現象として現れているはずです。

もうどうしたらいいのか???となってしまう事態です。

繋がっていることが前提での教育現場というのは

?はそのままにしません。

子供たちや若者たちの「?」に大人たちがどんなふうにこたえ、解決していくのか。

それに対してみんなで取り組みます。

それが双方にとって「進化」できる道であり

教育の意義です。

教育とは

立場や自分だけを守ったり

勝負に勝つためのものではありません。

自分やこれからの存在たちがよりよく生命活動でき進化する道を歩めるのか、、、

先人たちやたくさんのありとあらゆる存在たちが培ってきた英知を生かせるのか、、、

それを止むことなく形にする生き方。

それが教育の意義であり、役目です。

そして

過去も未来も今もすべて活用し、進化する教育方法です。

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