神 (分離と接続)
前提が繋がっている場合:
神とは宇宙そのもの、そしてそのはたらきと意思です。
それは宇宙を機能させる法則であり、
そのはたらきにと意思によってすべてが創造されています。
しかも、そのすべてには「個性・資質」があり
それぞれの自由意志に基づいて進化が可能です。
そして
その有様自体が宇宙であり、神と等しい有様となります。
そのように繋がっている領域から見れば
もちろん人という存在も神です。
人以外のまわりのすべての存在も神です。
神ではない存在はいないのです。
神(宇宙)から神(宇宙)の意思で、神(宇宙)の法則で創造され、
その法則で成り立っているのですから当たり前ですね。
理由:
今の地上で言われる「神」は
大概は宗教的な側面、立場で捉えられています。
一神教、多神教、宇宙神、神の使い、、、など
様々な捉えられ方、使われ方をしてます。
そしてその「神」は自分たちとは違う。
「自分たちには決してなれない存在」と位置づけされています。
ゆえに
崇める、奉る
などの思い、行為にもなってきます。
逆に「神であろう」とすれば、疎まられます。
「神さまに失礼だ!」「なれるわけないだろ!」といった感じで。
これは自分と神を切り離している意識からうまれています。
「そばにいる」とは思っても、それは自分ではない。。としています。
そしてそういった「神の存在」が自分たち人間を上から見て
コントロールしたり、眺めたりしているんだろう、、と。
そんな神に祈ったり、お願い事をすると叶えてくれたり
導いてくれたりする、、と。
でも、、、
それを信じきっているわけではありません。
そうであったらいいな~と願っている状態で、
結果、ほとんどの人が
「神さまを信用していない、、できない、、」ということになっているのが現状です。
そしてそれは今の地上にある「神話」の数々を生み出しています。
「神が罰を与えた~」とか
「神と神の戦いが~~」とか
「神が堕ちて~~」とか
「神が救って~~」とか
いろいろな設定で存在しています。
繋がっている領域から見ても、これらの話はすべてが作り話ではなく
実際にそのような物語はあったことでしょう。
しかし、それは私たちとは違う「神さま」が起こしたことというよりは
我々、人間のやってきたドラマのことを神のごとく見立てているのがほとんどなわけです。
本当に神であるのなら
神は戦いません。 本当の神は戦わなくても願い、望みが叶う方法を知っています。
神は罰を与えません。 本当の神は罰など与えなくてもよりよい結果を導かせる方法を知っています。
今、地上で言われている「神の名の下に、、、」というのは
ひどい押し付けです。
すべてのことは最終的には自分(人)が決めているはずなのに、
「神がやれっていってるから~~」
「神が許してくれてるから~~」
「神が罰を与えてるんだ~~」
って、どこぞの神さまの責任にしています。(自分が神なのに~~)
これは
「自身ではなにも決定できない!しちゃいけないんだ!」と決めつけているのにもかかわらず
動いたら動いたで「神に動かされた!自分の責任ではない!」と自分自身を守り、
さらにはその自分の思いや行動が自身やまわりに
どんな影響を与えるのかを正確に察知できない非常に未熟な様なのです。
、、、、
「神に助けを求めてる」状況ですね。
「わたしにはなにもできませ~ん。神よお導きを~~」と。
繋がっているところから見ますと、
それは、自分自身に助けを求めているのと同じです。
しかし、自分が神であることを知らなければ、、、
自身を助けることもできないわけです。
今、地上の人々は
まさに神の心を忘れてしまっている神なのです。
分離のマジックにより、自身が神の存在である事実が離れてしまっているのです。
神のごとく選択し、行動することができる、、という自分が切り離されてしまっているのです。
繋がっている領域では自分、そしてまわりも神なので
神と自分を切り離している「宗教」というものはなくなりますが、
神への思いや姿勢はあります。
そして地上の「宗教」よりも強い意志、心で向き合っています。
神は遠く離れた存在ではなく
神はマスターであり、友人であり、兄弟であり、パートナーであり、自分自身なのです。
神の心、行為を実践していく、、、。
一瞬一瞬。
それは
宇宙が平和によりよく運行するための心、行為です。
それを決してやめない強さです。
分離のマジックにかかってる、、、
自分だけ、、、
自分の家族だけは、、、
自分の国だけは、、、
自分の星だけは、、、
ではなく、、、
宇宙がありとあらゆる存在で成り立っていて
それらすべての存在たちがよりよく進化するために必要な心と行為こそが神の有様です。
人はそれを選択し、実行することができる存在なのです。
すぐにでも。
神と自分が繋がっているひとつの命と認識できたとき
それは可能になります。
今、人類はその選択、方法を見つけ、実践できるかの岐路に立っています。
そしてそれは今までの延長線ではなく
まるで違う道、、選択となります。
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