作業 (分離と接続)
前提が繋がっている場合:
社会が機能するのに必要なものを歳出するために
そこにいる人たちみんなでそれに取り組みます。
その中にはいわゆる「作業」というものがあります。
多くのことをコンピューターで管理されている機械たちが賄ってくれていますが、
人が手を使い作業を行うことももちろんあります。
そしてその「作業」というのは
辛い、永い、単純、過酷、、、といったものではなく
すすんで楽しみながら取り組める内容のものです。
理由:
繋がっている領域にも「作業」はあります。
しかし、同じことを長時間やる作業はありません。
いま地上で「作業」というと
単純なことをながいことをやり続ける、、、という印象をもってしまいがちですが、
繋がっている領域ではこういった作業はなくなります。
まず、お金がないので
そのお金を動かすための「たくさんの物」はいりません。
作られたものはみんなで共有しリサイクルされます。
そのシンプルなシステムの中ではたくさんのものは必要ないので
「過酷な単純作業」も必要ありません。
それでも
地上にもある「作業」と同じようなものもあります。
しかし、長時間強いられることはないし、自己の裁量に任せます。
そして、そこから形作られるものが真のその社会のためになるものなので
その「作業」は辛いと感じず、責任感を自然と持ち、
その「作業」ができることを誇りに感じるのです。
地上では
「単純で誰でもできるし、ずっとなんてやりたいと思わない!」というような内容の作業だとしても
繋がっている領域では
そのことが自分やまわりのみんな、、、社会のためになるとわかっているので
互いに責任を持ち合い、取り組めるのです。
地上では物を作りすぎているせいで
その多くが早いサイクルで廃棄されます。
リサイクルではなく捨てられる状態です。
これは、ひいた目でみてみると~~
自分たちが作ったものを、自分たち自身ですぐに役に立たなくして
無視している状態なのです。
こういったことを続けていると、、、
それに携わっている者はやる気が失せます。
作っている意味が見出せない状態になるのです。
しかしそれを止めることもできないので、、、
ほとんどロボットのように動くしかなくなってくるのです。
そしてこのようなサイクルは
意味不明な状況を発生させます。
、、、
その単純な作業は誰もがやりたい!という仕事ではない、、、
でも誰かにやってもらわないとダメな仕事。
なくてはならない重要な仕事なはずなのに、、、それに支払われる報酬は僅か。
たくさんお給料をもらってもいいはずですが、
一番少ないです。
こういった意味不明な現状にも関わらず、
そういった作業をしている方々を低収入で生活レベルの低い弱者のように捉え
さらにはそういった領域から目を背ける風潮もできてしまっているのです。
そういった仕事には
あまり関わりたくない、、、とおもってしまっているわけです。
その人たちの仕事で自分たちが支えてもらっているのにも関わらずです。
分離の発想から生み出されている「貨幣社会」を
なんとか維持するためにこのようなサイクルになっているわけですが、
繋がっている領域では人の考えで作られたサイクルは採用していません。
自然にある、、もともとあるサイクルを採用しています。
そのおかげで「お金」は必要ありません。
たくさんの物も、それを売る戦略も必要ありません。
なので、人々はもっと自身のための「作業」に集中できるのです。
「作業」とは仕方なく取り組むものではありません。
真の「作業」とは自身が進化し、まわりに貢献していくための動きと心なのです。
その動きと心で社会が成り立つのです。
みんながOKな。
| 固定リンク