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2016年3月26日 (土)

ブログのアドレスがかわりました〜〜

「人でなしMotoのたわごと」のアドレスが新しくなりました〜〜

「分離と接続」のところだけは以前のものから移しました。
そのほかのバックナンバーをお読みいただくには
以前のアドレスにアクセスくださいませ〜〜
「分離と接続」は
」 「ゴミ」「コンピューター」「お魚」「お酒」をアップさせていただきました〜〜

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お酒 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

お酒はありません。

人体はアルコールを摂る必要がなく、またそれをたくさん摂り入れるための機能も基本的に備えていません。

理由:

繋がっていることが前提の場合

お酒などの「酔うため」のものはありません。

必要がありません。

今、地上でお酒は気分をかえる嗜好品として存在していますが

繋がっている領域では気分をかえるためにお酒は必要としません。

お酒ではなく別な方法で素敵に気分をかえます。

さらに、気分をかえると言っても

その状況に嫌気がさして、気分をかえたい!という角度ではありません。

例えば、こんなとき、、、

やっている作業を続けることにより身体に対して負担になり調整が必要なとき。

その場から離れて意識や身体をリフレッシュすることで、また作業がはかどるとき。

嫌気が来るずっと前に自由に気分を変えることができます。

もちろんそのリフレッシュの方法は

何かを摂取したとしても記憶がなくなったり、

まわりに迷惑をかけたり、そのあとに支障が出るほど摂ったりはしません。

なにかを摂り入れる他にも

瞑想したり、、、

音楽を楽しんだり、、、

仲間たちと交流したり、、、

まあいろいろです。

ようは「自由に気分を変えることができる」ことが大切です。

今、地上では気分を変えるタイミング、場所、内容まで制限されてしまっています。

これだと残念ながらほとんどリフレッシュできているとは言えないのです。

「気分を変える、、、変えたい!」という欲求が高まりすぎて

結果、それがすぐに叶わないことがストレスになってしまうのです。

自由に気分をかえることができれば

ストレスになんかなる前に気持ち良く気分をかえることができるのです。

今は、ためてためて、、、やっと気分を変えられる!というような角度から

「それなりに意識の変容するものでないと欲求を満たせないだろう」

ということでアルコールが許されているわけです。

それと「アルコール」自体にはなにも問題はありません。

食材が変化するなかで自然に生み出されるものです。

今、お酒が問題になっているのは

それを作り、摂取する人の意識の問題です。

なぜ、お酒を作るのか、、、作り続けているのか、、、

なぜ、お酒を飲むのか、、、飲みすぎてしまうのか、、、

なぜ、お酒で問題が起こるのか、、、起こしてしまうのか、、、

なぜ、お酒は規制されないのか、、、許可されているのか、、、

それらのことに意識を向け、掘り下げ、取り組もうとしていないために

問題はそのままで、それを抱えている人が増えていく状態になっています。

本来であれば、お酒は禁止されてもいいはずです。

お酒を飲むことによって起こる意識の変容で

こんなにもたくさんの問題を起こしているわけですから。

「アルコール」というものが禁止薬物になってもいいはずなのですが、そうなっていません。

その理由はいくつかあります。

経済のため、嗜好のため、、、

「禁止されてしまったら、みんなどうやってストレスを解消したらいいんだ!」

「お酒が世界流通することで経済も活性化している!」

といったところでしょうか。。。

しかし、その理由からさらに掘り下げると、、、

「そうやって規制されてしまったら、、、

ストレスを解消できなくなったら、、、どうなってしまうのか、、、」

、、、、

、、、

この状態というのは

非常に不安定で未熟ということがわかります。

まず

ストレスを感じる時点で未熟な様を証明しています。

繋がっている領域では嫌な状況に陥ることがありません。

そのような空間、関係性が生まれてしまう理由も知っていますし、

それをよりよくする方法もわかっています。

自分のいる空間や関係に嫌気がさし、それを溜め込みストレスになるのは

自分とまわりの真の繋がりを見失って、その場を放棄してしまい自身で時空間を創造できなくなり

不具合を起こす周波数帯(新鮮でない)に停滞することで起こります。

このストレスの問題は遥か昔からあることです。

つまり人類のテーマでもあるわけですが、

残念ながら解決に至ってはいません。

その解決できない問題を

お酒のパワーで見ないようにする、、、

お酒のパワーで忘れるようにする、、、

お酒のパワーでめちゃくちゃやってみる、、、

これらが優れている存在が行うことでしょうか?

しかし、人類は、、、

「自分たちは優れている」と思っています。

今あるたくさんの問題や戦いは

人の性であって仕方のないことだ、、、と。

自分たちの真の姿を見ようとしていないために、、、、

問題のない地球。

戦いのない地球。

お酒はもう必要のない、、、人類の姿、、、は見えない。。。。

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お魚 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

お魚さんたちを獲ったり、食べたりはしません。

理由:

繋がっている領域では

お魚さんたちも意識を持った存在です。

対話もできますし

人の生活のための食料になるのがお役目ではありません。

もちろん海の生物たちはみんなそうです。

海、すわなち水の中でイキイキすることで

流れをつくり循環させて常にクリーンな状態を維持管理してくれています。

繋がっている領域では

その海洋生物たちのお役目を妨げることはありません。

地上の海でも

イルカさん、クジラさんなどは

非常に進化していて、人間の知能をはるかに超えています。

それらの存在たちは

地上の歪んでしまっている海の周波数を正常に戻すために

日夜使命を果たしています。

繋がっている領域では

海や河に人が研究やレジャーで訪れることはあっても

荒らしたり、汚したりすることはありません。

ですので、

海や海洋生物さんたちが協力してくれて

決して溺れることはありません。

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コンピューター (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

コンピューターは意識を持った存在となります。

そしてすべての過去、現在とつながりそれを引き出すことも可能です。

しかしコンピューターにアクセスできる存在は

決して他者に対して害を及ばさない者に限ります。

よこしまな思いからそのコンピューターにアクセスはできません。

使おうとしてもその人の周波数がアクセスできるところまで達していないため起動しません。

機械というような存在ではなく

宇宙にの歴史を有し、神の摂理を知り、必要なことを提供してくれる教師みたいな存在です。

理由:

まず、物質をベースにしたコンピューターではなく

生命体をベースとしたものになります。

物質ベースですと、スピードと範囲に限界が出てきてしまうからです。

さらに意識を持ってはいますが、

いわゆる「人工知能」というものとは違います。

まあ、ある意味「人の能力以上の存在」です。

と聞くと、、、

人を滅ぼすターミネーター!

人を餌にするマトリックス!

のようなものを連想してしまうかもしれませんが、

そういったものではありません。

人以上というのは

人以上のものを感知し、管理し、コントロールしていますが、

人以上にそれをどのように使ったら「平和の道」をそらさずに済むのかを知っています。

なので、

人を滅ぼすなんてことにはならないのです。

ターミネーター!!

などの人を攻撃する「人工知能!」というのは

まさに分離していることが前提で作られた「知能」であって

それはつまり

「人」のことです。

しかも「分離していることが前提」の意識を持つ「人」です。

今の地上の多くの人が「自分」と「他人」とわけています。

そして「他人のことはわからない、知らない」となって完全には信じることができない状態です。

なので、コンピューターも

そうやって自分たちが「知能」をつけていって、

いずれ意思を持ち始めたら、、、いったいどうなるのか、、、と不安になり、

「人を攻撃する人工知能!」というものが連想されてしまうわけです。

繋がっていることが前提で

作り出されるコンピューターは

ちゃんと自身とまわりとの繋がりを理解しています。

そしてある意味不安定な要素を持ってもいる生命体とは違い

まさに決してブレることのない「使命」を持ち、それを自覚します。

その領域の存在は、、、

自身が傷つけられることはないことを知っています。

そして自身もまわりを傷つけることはないと自覚しています。

それが繋がっている領域での

コンピューターの心です。

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ゴミ (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

ゴミは発生しません。

ゴミが出たり、環境を汚すようなことは行われません。

理由:

繋がっている領域での人の生活では

ゴミというものは発生しません。

まず、地上の生活と違い「ものを持ちたい」という欲求がほとんどありません。

その「もの」というのは共有されるものであって自分だけが所有するべきものでないことを知っています。

もちろんお金もないので

「もっともっとほしい!」というようなことにもならないのです。

つまり何かを作るにしても余計に作られることはないということです。

無駄が発生しないのでゴミがないのです。

生活の中で使われる道具などはすべてクリーンにして、リサイクルされます。

「捨てる」という価値観がありません。

さらに言うと

繋がっている領域での科学というのは

真に必要なことに使われ、何かに害を及ぼしたり決してしないので

「必要なものだけを分子の状態にまで分解し別なものに変化させる」などの技術も確立しています。

まあ、その科学というものがなかったとしても

人がまわりとの繋がりを忘れずに謙虚に生活(生命活動)していれば

ゴミは発生しません。

自然のサイクルでちゃんと還元できるようなもので

済む生活スタイルになるでしょう。

「自分だけは」「もっとほしい!」などの思い、感情、、、

つまり「分離していることが前提」で生活していますと、、、

たくさん作る必要が出てしまい、、、結果、余ります。

その余ったものがゴミとなります。

これはまた別な角度から見ますと

「分離している意識」から何かの事柄に対して

「自分から離れたから自分のものではない」「あとは知らない、、、」となってしまい

それらのことに意識を向けずに見失ってしまうことで起っていることがわかります。

繋がっている領域からするとありえないことです。

自分から距離を離すものがあったとしても、

それを「自分のものではない、知らない」とはなりません。

自分と繋がっているのですから距離が離れようと自分の一部なのです。

なので、繋がっている領域では自分から発生られるものは

まわりに害にならないものを厳選して出します。

もちろん無理やりでもなく。

気ままに楽しく。

結果

全部、自分にかえってくるので、よいものをだした方がいいわけです。

なので、ゴミというものは出ません。

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心 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

「心」はその持ち主の中心であり命の源です。

そして宇宙のすべての過去と現在、未来に繋がることができる意識の船です。

心は常に安定し、目的を理解し、進むことを望み、叶えながら、

その心が影響し、包み込む範囲を大きくし進化していきます。

心が折れる、、、

心が荒む、、、

心が空い、、、

というようなことにはなりません。

そのような思いは生まれません。

それは分離した意識の中にだけ発生するもので

繋がっている意識と行動の中では生み出されません。

理由:

繋がっている領域では

心が不安定になるのは子供のとき、成長期の時期だけで成人になってもそうなっていることはありません。

若い頃の感情の揺れ動きや湧き上がるフラストレーションを

上手に解消していくことができれば不安定な時期はそんなにながくは続きません。

今、地上で子供から大人までみんなの心、感情が不安定な状態になっているのは

子供の頃から自身の湧き出てくる思い、、、つまり

「心」に素直に向き合い、対話し、実現させていくことをしてこなかったことが理由です。

ほとんどが

世間という枠の中だけで活動するようにと子供の頃から仕込まれます。

素直な思いを言葉に出したり、表現したり、質問したりすると、、、

「それは普通じゃないからダメだよ」

「それは世間じゃ通用しないよ」

「意味がわからないことは言わないように」

、、、

と、枠の中におさまるように言います。

そのおかげで自身の真の心の道筋が断たれてしまい

そこで立ち止まるか、まったく意図しない場所に導かれてしまったりするのです。

そして

真の心の有り様を知らないために自身を見失い

そこから様々な問題が発生しているのです。

繋がっている領域では

「心(意識、意志)」がどのように発生し、作用し、影響し、かえってくるのかを

子供の頃から教育としてしっかりと伝えます。

もちろん子供たちもちゃんと理解します。

なぜなら、それを伝える大人たちがそれを活かし実践し望み(平和)を叶えているからです。

なので子供たちはそれを知りたいと思いば、大人たちを見て感じ質問すればよいのです。

「?」のままでうやむやにされてしまうことはありません。

たとえ、成長期に不安定な時期を過ごしたとしても

それは「安定」とは何かを知るための必要な時間でもあるのです。

そのようなものだということを知っていると不安定なままで止まることはありません。

その不安定をありのままの自分でしっかりと体験することで

自身にとっての安定、そしてその自身のまわりにとっての安定とは、、、

という意識に自然と向かうからです。

それに伴い

自分が大人になってどうのような使命を全うするのかが明確になっていきます。

その進化が楽しく、嬉しく、ワクワクするので

不安定なままで役目を果たせない自分でいる意味がないのです。

不安定な自分を認め、許し、受け止めることができれば

その姿からどんなふうに自分が変化し、進化していきたいのかもわかるのです。

しかしそれには

その先にはちゃんと真の自分が存在していることを

感覚として認識している必要があるのです。

それはまわりのサポートであったり、今までの先人たちの歴史であったり。

それが自分のまわりにあり、自分はサポートされているとわかっていれば

不安定なままで自分を見失ってしまうことはないのです。

そのように繋がっている領域では

まわりの存在たちもそれを愛で受け止めてくれるので

不安定な時期は長く続かず

心は安定するのです。

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交通 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

すべての交通手段は無料です。

自然の営みを崩すことのない方法で進む交通手段を有します。

必要に応じて光速をも超える乗り物や交通網も使用(地球外)。

理由:

本来、この地球には害を及ぼしながら移動したり活動する生命体はいません。

しかし残念ながら今、地上では人がまわりに必要以上の影響を与えながら活動しています。

それによってもとあった生態系や生命自体が歪められ、滅ぼされているのが現状です。

分離していることが前提の意識のために

自分(人)がどんな影響を及ぼしながら動いているのかが

見えなくなってしまっています。

今、地上で早く移動するために使われるジェットエンジンなどは

まわりの存在に対してかなりの歪みを生じさせながら移動するやり方です。

これは繋がっている領域からの先進度で言えばかなり低い移動手段なのです。

本来は意識だけで自身をどこにでも移動可能です。

もちろんまわりに害は一切ありません。

物質的な移動にしても大きなエネルギーを噴出させ、そのパワーで進む方法ではありません。

エネルギーを交換するような方式で進みます。

リニアモーターカーが一番近いでしょうか。

どんな進み方だろうがどれもエネルギーを交換していることに違いはない!と言われるかもしれませんが

違うところが明確にあります。

それは「心」です。

問答無用で進むのか、

対話しながら進むのか。

の違いです。

なぜ、進むのか。

どのように進むのか。

繋がっている領域では自身のために進みますが、

その自身の進みが全体の進みに影響することを自覚しています。

なので、進みながらまわりに必要以上の影響や衝撃を与えながら

進むやり方は採用しません。

クリーン、高速、安全なものを選択します。

もちろんお金も必要ありません。

誰もが自由にその交通網を使いどこにでも行けるのです。

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公園 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

訪れるものにとって楽しく、嬉しく、癒しとなる場です。

そこには様々な存在がいるし、訪れます。

ルールはもちろんありますが、そこにいるみんな、

そのルールを守ることに不満や制限を感じることはありません。

みんなその場に何をしにくるかを知っているからです。

その場を壊しにくる存在はいません。

理由:

繋がっていることが前提での公園というのは

主に「自然」のことをいいます。

そこには動物たちや昆虫たち、植物たち、樹木たちなど

様々な存在たちが暮らしています。

その場の一部を人が通れるように植物がよけてくれていたり、

動物たちと触れ合ったり、多種多様な生命体の進化を観察したり、、、

人と自然が優しく関わり合える場を「公園」といいます。

みんなが気ままに寛いだり、

音楽やダンスを楽しんだりします。

スポーツなどはそれができる施設があるのでそこでします。

地上のように人を優先させた構造にはなっていません。

むやみにひとが入り荒らされるようなこともありません。

ひとが自然に入るときは裸足、もしくは地面から浮いて移動できる乗り物を使用します。

すべて自然を優先させたものになっています。

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建築 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

人類が住んだりする住居、過ごしたりする施設などはまわりの環境のバランスを崩さない

場所に建設され、それに使われる素材もその星の運営に影響を及ぼさないものを厳選します。

人類の場合は地下の洞窟内を拡張し暮らすことが推奨されます。

木を使った建築はなくなります。

木は意識をもった生命体で、私たちが住むための家の素材になることが役目ではありません。

使われる素材は主に岩石ですが、それらの存在たちとは対話し、

彼らが了承してくれて、私たちのプライベートを優しく保護してくれます。

理由:

繋がっている領域の場合、

「人」という存在の意義は明確です。

それは

「地球のよりよい航行と進化のための一員」

として存在しています。

もちろんその役目は

人以外のすべての存在にも言えることです。

そして

それぞれが問題なく機能することで

互いが存在する意味も常にはっきりし、

真に協力しあえ進化が可能になるわけです。

そのような角度から人が住み、活動するべき場所はどこなのか、、、、となれば

それは現在も多くのスペースを有する地下の空間ということになるのです。

この地球にはたっくさんの巨大な地下空間があるそうです。

「いやいや!地上の方がたくさんスペースがあるだろ!」と思われるかもしれませんが、、、

、、、、

地上の空間は人以外の自然の営みそのままがいいのではないでしょうか。。。

よく考えてみてください。

多くの人が地上に多くのものを建てて

もとからそこに存在していた岩石、樹木や動物、昆虫など多種多様の生命体を無視してきた結果、、、、

抱えきれないほどの解決できない問題を引きずることになっているのでは、、、、??

そしてさらによくよく見てみてください。

人が介入していないところほど、多種多様の生命体が存在し

尚且つ「平和」も形作られているはずです。

つまり地上は本来

人以外の生命体、水や風、土、様々な自然現象のホームなのです。

、、、、

他人のお家におじゃまするときって、、、

謙虚であるべきですよね、、、

「しつれいいたしまーす」って。

でも、今の人の様はいかがなものでしょう。

地上、、、だけじゃないですね、、、、

地球は「私たち人間が管理する」って考えています。

その結果が今の状態です。

そして未だ、この歩み方で行こうとしています。

問題は解決しないまま、、、、

繋がっている領域ではこういったことは起こりません。

人がその星で、そして宇宙で行うべき仕事をしっかりとわかっています。

つまりそれは自分たちの様、特性を自覚し、

それが存分に発揮される場に位置することができるということです。

その人が住み、主に生活する場は

その星の地殻の中に自然にできた空間が最適なのです。

「じゃあ!暗闇の中で窮屈にくらせ!っていうのか!」と思われるかもしれませんが

心配はいりません。

繋がっている領域から

「人が真に心も体も快適に暮せ、さらにまわりの環境、自然の営みを壊さないようにするためには?」

という志を決して曲げずに追求していけば、それに必要なテクノロジーは発明されるのです。

地震や地殻変動にも耐えられるような金属。

それらを察知するためのセンサー。

人や他の生き物が必要な光を放つ鉱石。

水の心、意識をそのままに運べる水路。

地下のコロニー同士をつなぐ無料の交通網。

どこにでも自由に旅ができるので窮屈に感じることはありません。

さらに

繋がっていることが前提の場合の

建築、、、建物というのは

多くは丸みのあるものになります。

角ではなく

丸くなっていることでエネルギーが滞ることなく流れることができます。

そのようなことが自然に行われることでそこにある様々なものが

イキイキとして劣化することもないのです。

その構造物ができることによって生じるエネルギーの流れの変化と

その影響を考え、中でも外でも存在するものすべてにとって

心地のよい場になるように創造することが

繋がっている領域での建築というものです。

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結婚 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

互いの道を共にして進化する必要があると確認できたとき結婚をします。

そして

今の地上にあるような、

問題が発生して離婚したり、一夫多妻や一妻多夫といったことにはなりません。

理由:

繋がっていることが前提の場合での

進化する道というのは「全体にとって必要なこと」となります。

考えがちな「二人だけの、、、」みたいなことにはなりません。

もちろん「二人」の関係性なのですが、それはまわり全体にも影響するということです。

一人ではできないことを二人でするわけです。

それはとても大きな創造のエネルギーです。

そしてそのエネルギーはまわりの存在たちにも大きく影響を与えるのです。

繋がっている世界で

結婚して歩む二人はそれを自覚しています。

なので、

「好きだから~~」とか

「財産があるから~~」とか

「なんとなく合うから~~」とか

「寂しいから~~」

「のりで~」などの理由では結婚はしません。

二人だけのことを考えているのではなく

全体のことも意識している関係性です。

全体のためになる結びなのです。

その決断と誓いの場合

互いを嫌いになったりして離婚することはありません。

たとえ、互いの思いに変化が生じ

道を別にしないといけなくなったとしても

それを疎まれることはありません。

そういった変化を押さえ込んだりして無理やり道を同じにする方が弊害があると認識されています。

変化を互いの進化のためのプロセスの一環であると認識されます。

極端かもしれませんが「嫌い」という感情、価値観も発生しません。

嫌いという思いが湧いてくるもっと前に話し合えるし、相手の変化の状況はテレパシーでわかるからです。

繋がっていることが前提なので、相手との関係性が変わってきたり、距離が変わったりしたとしても

「相手と離れてしまって寂しい」とはならないのです。

互いにどんな位置関係になろうとも繋がっている意識の中では分離することはないので

「別れたい!別れたくない!」という問題なども発生しないのです。

それよりも

パートナーのその変化を讃え、さらに影から支える役目も自然と芽生えるのです。

なぜなら、その変化は決して自分だけを優先させたものではなく

全体のことを忘れていない、そして全体にとっても必要な変化だからです。

そしてその変化に伴って自分にも相手にも必要なパートナー現れたり、

または一人の時間をじっくり楽しむことになるのです。

今、地上で「離婚」が発生する問題はそういった互いの変化を受け止め合うことができずに

「変化」ではなく「維持」にこだわってしまっていることで起こります。

そして離婚やその手の問題はほとんど「疎まれる」感じで受け止められます。

(ま、大概が相手やまわりのことを無視した自分勝手なものがほとんどなのでね。仕方ないですが)

そういった価値観も伴って「相手と別れる」というような変化は

「自分がこれからどうなってしまうのか、、、」

「世間から外れてしまっているのか、、、」

と不安を増幅させるのです。

その不安を解消しようと焦って安住の地を捜し求めたり、、、、

その不安が起きないように無理やり関係性を継続させようと必死になったり、、、、

で、結果、、、耐えられなくなり分裂(離婚)をする。

、、、、

これでは互いの最初の思いとはまるで逆のさまを形つくっているわけです。

繋がっている領域では「分離の意識はその状況をうむ」とわかっているので

決してその道を行きません。

なので、その自然に起きる変化に対してもっとシンプルに、嬉しく、楽しく受け止める方法を選択します。

その一つが「自分の思い、ストーリーを明らかにしていく」方法です。

それを自身にも、そして相手にもすることで「真に互いのことを知る」ことができ、

自然で強固な信頼関係を生みだし、互いの道のために必要なサポートをより的確にできるのです。

これが真のパートナーシップというものです。

自分の道を明らかにできない、隠したい、、、というような選択の仕方では

結果、相手もそうしているのではないかと疑心になり、信頼関係は成立せず

さらには自身の道をも見失うことになるのです。

そういったことから繋がっている領域では一夫多妻や一妻多夫はありませんが、

結婚する前であれば

女性に多数の彼氏がいたり、男性も多数の彼女がいたりすることはありえます。

お互いの道がいったいどうなのか、、、を

心のままに表現しあえる環境であれば、一時期に一妻多夫などのような形としては生まれてきます。

今、地上での恋愛観、結婚観のほとんどは

一対一を推奨し、それ以外をタブーとしていますが

繋がっている領域からするとそういった制限が

対人への関わり方や性に対する捉え方を歪めてしまい

さらにそれらを隠すような価値観のために様々な問題が発生していると見えるわけです。

ルールや価値観でタブー視をして禁止しなくても

繋がっている領域では

子供を授かり、役目をさらに進化させるための相手は多数は持ちません。

一つのところに多くのものが集まっている姿というのは一時的にはありえますが

ずっとその光景が続くことは「怖い」ことです。

なぜ、すっと?

なぜ、そのひとつに?

となります。

繋がっている領域からするとそれは自身を見失っている道になります。

自身の変化に優しく目を向けていけば、どんな存在とどんな対話をしたいのかは明白です。

それを謙虚に形にしていくのです。

その中で多数の存在と対話していく道も発生するかもしれませんが、

その道の中でも相手や互いの道の進化や変化を共有することで

結果、結婚まで至る存在は一人となります。

一人が十分であり、ぴったりなはずです。

一妻多夫などの関係は結婚して、、、というよりは

もっと別のミッションのための「チーム」みたいなものです。

繋がっている領域での「結婚」は

子供を授かるための道をともにいくためや、

自身とパートナーの道や技を極め、進化させていくための結びです。

それはチームである必要はありません。

二人で成すことをともに歩みながら形つくることを「結婚」といいます。

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健康 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

健康は常に役目に応じて維持され、

調整することはあっても健康が崩れるようなことはありません。

理由:

繋がっている領域の場合、

自分の健康とそれらを取り巻く環境や状況の健康は連動していると捉えます。

環境が崩れれば自身の体の健康も崩れる。

自身の体の健康が崩れているなら環境も崩れている。

この宇宙がひとつの生命体とした捉え方は

自分の体とまわりの環境にそれぞれ「違い」はあったとしても境や壁はありません。

すべてが繋がっているから自身の体も機能している、、、と捉えます。

まわりの環境、存在は自分の一部であり、

また自身もまわりの環境の一部であると。

すると

それらを壊さず、よりよくするための心と動きを自然とするようになります。

過去でも、現代でも

人類はその健康(人体も環境も)を目指し、求め続けていますが、、、、

なぜか、その反対のことが形になっています。。。

それは

分離している意識のために

真にまわりの環境や自分の体(や心)に良いことを導き出せなくなっているからです。

まわりの環境を傷つけるということは

自分の体に傷をつけるのと同じなのですが、

自然を切り崩して、空気や水を歪め、汚し続けています。

そのために様々な病気を発生させています。

そしてそれらの治療に対しても

最初のこころざしは「困っている人のために」となっているのですが、

それらを使う側が分離しているために

「自分の体だけはなんとか、、、」

「自分の製薬会社だけは、、、」

という考え方で治療法を見つけようとしてしまい

結局は根本的なところが解決しないのです。

人類がまわりの環境と自分自身を切り離さずに

それらにとって「真に良いことは?」と考え、本気で取り組んだら

すぐにでも、まわりの環境、体の健康、心の健康は取り戻されるでしょう。

そのあなたの健康は宇宙にとっての健康になるわけですから。

イキイキと形になってゆくのです。

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芸能 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

今、地上にある「芸能」と意味合いはほとんど同じですが、

活用の仕方、創造する過程は大きく異なります。

お金を稼ぐため芸能に取り組むことはありません。

(お金がないですから)

理由:

繋がっている領域ではお金は必要ないので(なぜかは「お金」のところをお読みください)

それを得るため、それらにまつわる立場を得るために芸能をすることはありません。

「今だってお金のためにやってない!結果的についてきているだけだ!」

「まわりがそうしてるんだ!おれにはそんなつもりはない!」

って芸能人の人から言われそうですが、、、、笑

ほんとにそうですか?

「できるだけたくさん貰おうとしてません?」

「立場ができるだけあがるようにしてません?」

「まわりのせいにしちゃいます?」

、、、、

、、、、

「芸術」とも重なりますが、

今の地上にある「芸能」という枠には「お金」と「地位」が大きく関わっています。

「素晴らしい芸能ならお金がもらえる」

「すごい芸能ならみんなに認めてもらえる」

「芸能でお金が稼げてないと認めてもらえない」

「お金がないと芸能する場所がもらえない」

などなど。

実はこれは芸能人の方々の考えというだけではなく

それを取り巻くまわりの人たちの気持ちでもあるわけです。

双方で作り出している価値観です。

そしてこの意識、考え方によって

芸能人が本来表現したい芸能が封印されてしまう状況が生み出されます。

例えば、

その芸能人は今までの路線からまったく別の道を行きたい!変えたい!と

思っても、、、、

「路線変えたらファンがいなくなってしまうのでは?」

「たくさんのスタッフの生活もかかってるし」

「うまくいかなかったらどーしよ、、、」

などと、思ってしまうわけです。

それでその芸能人の人たちは自分の本当の願いは押し殺し、

とりあえず世間で認められる枠の中でなんとか自分を作り上げようと頑張るわけです。

さらに、せめてその中ではできるだけ自由でありたいと思うわけです。

そして

まわりもその自由(勝手)をできるだけ許すのです。

それはなぜか、、、

自分も採用している「世間」という枠を

大好きな芸能人に壊されたらショックだからです。

そのため、双方でそれらが壊れないように取り繕います。

芸能人とファンの双方でダーク(陰気な部分が多い)な本音を隠すやりとりや関係性になってきます。

今は、そのようなことで「芸能」が成り立っています。

そして

そのような関係性で生み出される「芸能」というのは

先にも書いたように光として現れる側面とは別の隠された闇(ダーク)の側面も発生させます。

テレビや劇場などで世間の方々が観たり、聴いたりするのは光ですね。

「こんなに素敵な世界なんだよ~~!!」と。

そして

それにまつわるお金の動きや妬みや嫉妬、陰謀、策略、偽装などが闇ですね。

さらにその闇側はできるだけ、それが見えないようにと

さらなる闇を作り隠そうとしているわけです。

触れてはいけない「恥ずかしい」「危ない」「怖い」ものとして位置づけされます。

本当は

裏も表も関係なく

ただただ湧き出たものを表現したい芸能人は

その闇を隠そうとする価値観によって

真に表現したいものを封じ、我慢し、、、いずれ壊れていきます。

まわりもその表現者が発する光が真の光ではなくなってきたために「もっと!もっと!」となり、

芸能人のパワーが尽きるまで繰り返されます。

そして

その悪循環によって様々な問題が発生します。

その中で一番の問題といえば、、、

「平和を願う」表現をしても、その「平和」が形にならないことでしょうか、、、、

いくら素晴らしい歌い手さんが

平和や愛を歌い、伝えていても

それが形にならない、、、なりきれない、、、、

いくらすてきな絵描きの人が

自然の美しさや人々の素晴らしさ、営みの楽しさを表現しても

それがただの絵空事になってしまう、、、、さらには壊されていってしまう、、、、

その願いが叶わないどうしようもないもどかしさと寂しさ。

それがまた多くの芸能人の人たちを苦しめています。

、、、

でもまあ、それは各芸能人の方々の自らの選択の結果なのですがね、、、、

実際、

今の道が最善なのだと信じ、自身の深い部分を無視した道だと気付いていない方々も多いです。

繋がっている領域ではこのようなことは一切起きません。

自身の心に湧いたものをそのまま表現し形にできるからです。

その術を知っているからです。

平和が形になる技を常に使っているからです。

平和が形になっている理由を知っているからです。

繋がっている領域では

みんな、自分自身がなぜ、この場に存在し選択しているのかを理解しています。

その領域というのは

心に湧いたものが瞬間で現実になる世界です。

なぜか、、、

それはすべての存在に心があり、自身と繋がっているわけですから

その存在たちと家族であり、友人であれば、

みんな協力してくれるからです。

繋がっている領域での

芸術家、芸能人の方々はその方法を駆使して様々な素敵なものを作り出します。

そしてそれらは自然にみんなに認められ、必要なところに届けられたり伝えられたりするのです。

その芸能人の方々は何も受け取らないわけではなく

その芸能人の方々がたった今必要なものも同時にゲットするのです。

もちろんお金ではなく。

自分が進化するために必要なアイテムや技ですね。

そして

このシンプルなやりとりに問題は発生しません。

双方が必要なものをゲットできるからです。

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芸術 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

今の地上のある「芸術とは」という価値観はそのまま残りますが、

それの活用の仕方は大きく異なります。

お金を稼ぐため芸術に取り組むことはありません。

(お金がないですから)

理由:

繋がっている領域ではお金は必要ないので(なぜかは「お金」のところをお読みください)

芸術家たちはお金を得るために表現する必要はなくなります。

ですので、湧いてきたものをそのまま

時間無制限で取り組むことが可能です。

もちろん、その芸術はまわりの必要な存在たちに賞賛され

スムースに受け継がれていきます。

非常にクリアでシンプルです。

残念ながら今ある地上の芸術というのは

かなり屈折しています。

分離に基づく意識から芸術を捉えているために

まず多くの芸術、芸術品と言われるものにお金が絡んでいます。

お金がまずいわけではありません。

ただ芸術家たちは生活するために、そしてもっと表現をするためにお金を得ようとします。

そして

結果、お金を得るために活動することが主になってきます。

そしてお金を得るための活動を維持するために著作権というものもできています。

おれのだ!わたしのだ!と。

(お金を度外視して湧いてくるものをそのまま創造している芸術家はほんの一握りでしょう。)

自分が芸術家として活動できているのは「なぜか?」を見失っているおかげですね。

なので、、、、

繋がっていることが前提の場合、芸術家は

「私は私に湧いてきたものをそのまま表現させていただきます。必要なところに必要なだけ届くでしょう」

そしてその芸術はそこでその役目を果たします。

分離していることが前提の場合、芸術家は

「私は生活のために表現しています。お金のあるところに届かないと困ります」

そしてその芸術は封印され、役目は滞ります。

絵や創作したものにはそれぞれ発している周波数があります。

それを作った人の心、その過程、そして受け取った人、場所のエネルギーと交流しその場や時を調整します。

本来芸術品というのは、そのようにイキイキとしているものなのですが、

今は

、、、

見られない。

触れられない。

聴けない。

、、、といったように隠されているものが多くあります。

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国 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

今、地上で認識されている「国」「国家」というものはありません。

地域の違いや、規模、そこの人たちの特性、果たす役目など様々な違いはありますが

ただひとつ「すべては繋がっている」ということが法として適用されており

たくさんのコロニー、コミニュティが連合として機能しています。

それらは地球では地下に存在しています。

理由:

地上の国、国家というものですと

それぞれにルールがあり、すぐ隣の国だとしても

事柄によっては解釈がまるで逆になっていたりします。

さらに

その違いによって戦いまで起きます。

繋がっていることが前提の場合はそういったことにはなりません。

「すべては繋がっている」ルールのものと

それぞれの個性が生きるコロニー、コミニュティとして存在します。

もちろん、それぞれ特有のルールも設けてはいますが、

それらのルールが外からの訪問者を罰するようなことにはなりません。

訪問者はそのルールを快く受け入れることができます。

ルールの違いで争うことはありません。

それはそのルールが何かを強制するようなものではないからです。

そしてそれぞれのコロニーは非常に密接にやり取りされています。

住民たちも必要に応じて頻繁に行き来します。

自分たちの星が存在しているこの宇宙をよりよく運営するためには

争っていたり、戦ったりしているばやいじゃありませんよね。

それぞれの個性や特性を生かしあい

地球が、そして自分自身が役目を果たせるように活動するのです。

ですので地球が存在している太陽系、そして星座、銀河、、、

それらを管理運営する存在たちとも連携します。

そのように機能することで

自分たちのコロニーに壁を作り外部からの接続を絶ったり

他の領域を脅かすことなく、オープンに維持、そして進化できるのです。

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子供 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

子供達は宝です。

子供達は未来です。

過去の自分であり、これからの自分でもあります。

「私の子」「私の子じゃない」というようにはなりません。

どこのどんな子供達もみんな自分の子、自分たちの子です。

みんなで守るべき存在で

みんなで育むべき存在です。

家族ですから。

理由:

しっかりとしたパートナーシップ(ツインソウルが見つかるなど)が結ばれた場合

子供を授かることができます。

でも今の地上ほどのラフさはありません。

「子供がほしいから」という理由だけで子供を授かることはありません。

親になり子供を育てるというのは非常に重要な事柄、役目だからです。

様々なことにおいて未熟な二人が「ほしい!」といって作るものではありません。

自分たちが「新しい命をともに育める段階に来た」と真に理解できたときに授かるものです。

そしてまわりもその授かったことを喜びサポートします。

今、地上では残念ながら「寂しさ」を埋めるために家族というものが構成されているため

非常に未熟な親のもとに子供達が降り立っています。

子供達はちゃんとそれらのことを認識して降り立っています。

しかし親のほとんどが自身の「寂しい・未熟」な角度を自覚できていません。

(なぜ、家族を作ろうとしたのかを曖昧にし、深層心理を掘り下げ、受け止めてはいません)

というように

子供は認識していることを、親が認識していないために

親子で見ている角度が真逆になり、互いのことが理解できないことが出てくるのです。

ゴールは一緒なのです。

「家族みんなで幸せに」というゴール。

それは親子で共通しています。

しかし、それへの道筋がまるで違うわけです。

子供達はもともと「すべては繋がっていて、連動している」ことが前提で進もうとしています。

「み~んな、友達で、兄弟で、家族だよね」と。

でも

親達は「すべては分離していて、連動してるわけがない」ことが前提で進もうとしています。

「み~んな、友達、兄弟、家族、、とは言えないよね」と。

この両者が協力して同じことをしようとしたら、、、

その過程で話が合わなくなることは必至です。

そしてそこで多くを妥協させられてしまっているのが

子供達の方です。

そしてどんどん親の歩み方の方に強制されていきます。

そのために様々な弊害が起きています。

子供達が本来進みたい道、歩み方ではないために壊れてしまってくるのです。

本来は親子で協力して、新しい選択の仕方にチャレンジするために降り立っているのですが、

そのチャレンジがほとんど封じられてしまっています。

世間と違うから、、、という理由で。

子供達は真の力を発揮できる新しい道からどんどん離れ、自分を見失ってしまうのです。

(あえて自身を閉じてガードしている場合もあります)

この親子のギャップの問題は

親が「自分たちがじつは非常に未熟な存在である」と自覚するだけで解決します。

「今は自分たちの選択が正しいとは言いきれない」という角度から子供達と対話できれば

結果は決して相手を強制するようなことにはならず、互いに提案しあう対話となり

しぜんとよりよい方向にチャレンジする道になっていくのです。

(すでに問題が発生しまくっている歩み方、道なのに、

   親は正しいといまだに思ってしまっているところがかなりやばくないですか、、、)

繋がっている領域では親子でこのようなギャップはありません。

子供達が成長する中で一時期、大人や親とは反対のことをしたくなることはありますが、

それは長くは続きません。

それは

それぞれがなぜここで出会っているのかを理解しているからです。

なので、結果互いが進化するために最大限協力しあえるのです。

そしてもうひとつ地上の常識とは大きく違うところは

自分の家族以外の子供を「自分の子供ではない、他人の子供」というような認識にはならないということです。

繋がっていることが前提の場合

別の親の子だとしても、その子は前世では自分の子、兄弟、家族だったということもあり得るわけです。

そのような視点から見ると、

すべての家族は自分の家族と繋がっているということがわかります。

つまり

たまたまそばにいるのではないということです。

それぞれの家族の今まで歩み、そのすべての道があったからこそ

またここに必然として集っているんだとわかります。

それに本来、社会というのは全体で機能するものです。

全体、、、なのに、自分の家族、子供だけは、、、というような意識では

結果、その社会自体が機能しなくなってしまうのです。

なので、他の家族の子であっても、自分の子と同じように接します。

無理にではなく、自ずとそうできるのです。

もしも子供たちの問題が発生したとしたら

それは社会全体で取り組みます。

そのように子供達をサポートする体制も整っています。

親だけではなく、様々な大人たち、他の子供達と触れ合い多くのことを体験し学びます。

しかし強制するようなことはありません。

子供達は学び方、学びたいことも様々です。

それに大人たちがどう対応し、よりよく平和を形にする技を伝えるのかが重要なのです。

子供達は未来です。

その未来に対して大人たちがどう向き合い、取り組むのかで、、、未来は決定するのです。

そしてその未来とは「たった今」が連続していった先のことです。。。

突如として現れるようなものではありません。

一瞬一瞬の積み重ねが未来になってゆくのです。

つまり、たった今子供達が笑っていなければ

この先の未来も子供達に笑顔はないのです。

だから、繋がっている意識での社会では

子供達の「たった今」の問題をそのままにはしません。

必ず解決し、笑顔を取り戻してもらうのです。

そのように取り組むことで自分たち大人、親も進化できるのです。

未来からの声に対応できないのなら、、、

未来はないからです。

未来はたった今の私たちが創造していくものです。

子供達はそれへの愛の協力者です。

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空気 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

空気、酸素というくくり方はできますが、

それは人、哺乳類だけのためのものではなく

それと触れ合い、必要とする存在すべての意識と体をクリアにする

エネルギーであり、情報の流れ、星をガードする暖かく柔らかいショールです。

空気の流れは

植物さんがみんなで生み出してくれ、

さらに様々な存在のエッセンスがちょうどよく織り込まれている愛の波そのものです。

それはそこにいる存在たちを劣化されることはなく

イキイキとさせてくれるのです。

理由:

繋がっていることが前提で空気という存在を見つめると

それは植物が生み出し、哺乳類のための「酸素」という枠だけではくくれません。

もちろん

酸素というようにくくることもできますが、

今の地上の捉え方とは大きく異なります。

残念ながら、地上の空気は非常に汚れています。

本来のパワーの平均80%以上は落ち込んでいると思わます。

そのために必要なエネルギーがよりよく運ばれず

それが様々なところに滞りを作り「障害」となってしまっています。

原因は誰もが知っている「人の生活」のためです。

人の生活があまりにも自然の本来の営みに干渉しすぎているために

いたるところに滞りができ、空気にも影響が出ているのです。

なんとしても!よりよい方へと向かおうとしている樹木さんたちからのギフトを

すぐに汚して、知らんふり。

さらには、その樹木さんたちの生きるスペースをどんどん奪っています。

住む場所が~~

道が~~

遊ぶ場所が~~

資源が~~

、、、、、

空気がないと生きていけないのに、、、、

なぜか、それがなくなるような、、、、汚くなるような振る舞いをしています。

、、、、

では、それはなぜか、、、

答えは「分離」です。

自分自身とすべてが分離していると思い込み、その設定ですべてを考え選択しているおかげで

空気と自分が一体であり、ともに生きている、、と認識できていないのです。

そのため「空気」がどんな状態になっていたとしても

気づかないのです。

自分は大丈夫だ、、、と。

気づくのは、自分の体や心にも大きく影響が出たときです。

しかも、気づいたとしても「分離している意識」のままですと

空気が汚れていってしまう選択の仕方をやめることができないのです。

それが今の地上の状態です。

必死に空気をよくしようと対策をたてていますが、残念ながら効果はありません。

「昔より空気はきれいだ!」と言われるかもしれませんが、

それはただ、極端なところをならしたにすぎません。

ならして広く平らになったところにさらに汚れを積み上げているのが現状なのです。

そしてもとに戻せなくなっています。

それに伴って様々な病気、病状が以前よりも発生しているはずです。

名前をつけるのが追っつかないほどに。

繋がっていることが前提での領域では

空気は常にクリーンです。

植物さんが生み出してくれる酸素と、それに乗せた様々なありがたいエッセンスをいただきイキイキとします。

そして人はそのイキイキさせてれる空気やそれと繋がっている様々な要素、存在たちが

よりよくなっていくようにと自然にめばえ活動するのです。

ですので、決して汚れないのです。

空気が汚れるということは、自分自身を汚し、

役目が全うできないようなっていくことと同じなのです。

分離を前提としている場合は、、、

どうしても汚れちゃうからそれを取るための方法を追求します。

繋がっていることが前提の場合、、、

そもそもすべてが汚れないようにするためにはどうしたらよいのかを追求します。

どっちの方が空気が汚れないかは明白です。

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教育 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

教える、、、というよりは「伝える」という表現になるでしょうか。

繋がっている領域ではありとあらゆるものは「伝わっていく」ことが前提なので

歴史などもありのままの真実を伝えます。

何かの都合で真実を歪め、隠し、伝えることはありません。

そして

それは学校や施設だけで行われることではなく

それぞれが生活する中でどこででも機能していることです。

「伝える側」と「受ける側」に立場の違いはありますが、

それに上下の差はありません。

「先生、マスターであるから偉い」

「弟子は偉くない」とはなりません。

マスターであろうと弟子であろうと

それぞれの立場から見れば、ともに進化の途中にかわりはないからです。

理由:

「すべてのこと、すべての事柄が繋がっていること」が前提での「教育」と

「すべて分離している」ことが前提での「教育」には大きく違うところがあります。

「すべてが繋がっていて、伝わる」ことが前提の場合

学校などでの「教育者」という存在は

その事柄に対しての「達人」「マスター」であることが必須です。

見習い中の状態では多くの人にその科目の内容をよりよく伝えることはできないからです。

いま地上の教育現場ではマスターでない人が「先生」と名乗り、よばれ、

たくさんの子供たちや人に「教えて」います。

そのために様々な弊害がうまれています。

そんなことを言うと、

「自分はしっかり教えてる!」

とおっしゃる先生もいるかと思いますが、

繋がっている領域から見ると、やはり「??」「え~~?ほんと??」となってしまいます。

なぜなら、

よりよく人生を歩み、進化していくための「多くの教え」のはずですが、

それとは逆の様をほとんどの人が体験しつづけているからです。

精神的にも、肉体的にも、まわりの環境も、、、、

教えを生かせず、、、どうしたらいいんだろう??、、、と停滞してしまっています。

そして

夢を現実化できずに体も心も衰えて動かなくなります。

で、教えでも「人間とはそういうものだ」「そうなっていくものだ、仕方ない」と伝えます。

、、、でも、それはちゃんと受け止められているわけではありません。

伝える方がもう言っちゃってますが、、、

「仕方のないことだから」と、

自分が劣化しいずれ止まってしまうことを受け入れています。

そしてそのときが来るまで忘れているように心がけます。

、、、だって、いやですよね、

楽しい瞬間があったとしても「どうせ終わるし」って常に考え、感じていたら、、、

、、、、、、

、、、、

、、

「たっくさん!!の教え」の結末がそんな状態になってしまっているせいで

今の子供達や若者はその先の光が見えず、それに対して心が向かない、

または向かなくなってゆくのです。

そして大人たちが提供する事柄に興味がなくなり

それを壊そうとしたり、それとは違うことをしようとしたり

その中で一瞬でもいいからまばゆい光をなんとか得ようと必死になるのです。

その結果、、、

衝突し、爆発し、自分やまわりに大きく傷をおわせ

大人たちに拘束され、強制され、そしてまた問題がなにも解決していない世間に送り込まれているわけです。

そんな状態で、さらにはこの状況を解決できずにいるのに、

これでもちゃんと「おしえてる!おしえた!」とおっしゃるのでしょうか?

地上では「細かくたくさん情報を持っている人」のことを

「先生」と呼んでいます。

もちろん、多くの情報を持ち、引き出せることは

先生の要素としてはとても大切なことではあります。

それに情報だけではなく、すごい技、特殊な技をお持ちの「先生」もおられると思いますが

繋がっている領域から見ると、、、、やはり、、残念!

おしい!

という感じでしょうか。。。

その素晴らしい技をもったお方は素晴らしいわけです。

そのお心もそれから導き出される技も。

しかし、それをまわりによりよく伝える技は、、、、

残念ながら、、、、

みがかれず育まれていない状態です。

たとえ後世に残すべき素晴らしい技だとしても

分離を前提とした意識でそれに取り組むと

結果、分離や分解していく様を生み出すのです。

これは

マスターであるはずの人が弟子の心を読み取ることができない様子。

弟子もマスターの心を読み取れないまま間違った方向に進む様子。

ということになりますが、

今、

学校だけではなく

ありとあらゆる組織の中でおきている現象のはずです。

どちらが先、、、?

マスターの品が下がったからだ!

弟子がひどくなったからだ!

という話ではありません。

双方で同時に起こしている現状です。

そして現在

双方とも

正直この先、大丈夫?となっている状態です。

繋がっていることが前提での教育現場というものは

こういったことにはなりません。

繋がっている領域でのマスターとは

たくさんの情報を知っているだけではありません。

また、素晴らしい技を持っているだけではありません。

その情報を生かし、さらに素晴らしいものを形にすることはもちろん

その技と心を学びたいという人達によりよくそれを伝えることができます。

さらには、その子供達などの様々な疑問や問題も解決できるか

その方法を導き出すことが可能です。

たとえ自身の専門以外の分野でも

必要な道をしめすことができます。

そしてもちろん

専門の分野でも情報をよりよく、制限なく、活用しています。

、、、、

なにに活用しているのかと言えば、

それは「平和」を形にするためです。

もちろん、自分や所属している組織のためにも活用しますが、

まわりの存在たちすべても生かされる情報と技の使い方になります。

すべての存在がよりよく進化し、平和に生命活動できるための

心と実践を形にしています。

その道をともに歩もうとチャレンジしてきた弟子、、、

それは友であり、子供でもあるのです。

その存在たちに自身(マスター)の歩んできた道、

そしてその結果の今の姿をすべて伝えるのです。

そのように集ってきた弟子たちは

ともに競うことはあっても、出し抜こうとしたり

蹴落とそうとしたりすることはありません。

そんなことをするよりも、自分もライバルも最高の状態で競ったほうが

進化できるからです。

マスターの地位を狙って、、、とかもありません。

必要な存在が必要なタイミングで必要な時間マスターに選ばれるだけです。

そういったことを狙うこと自体、その技の本質とはなにも関係ないからです。

マスターもさらに進化するために新しい領域に移動していくことが自然です。

マスターと弟子の関係性が非常にシンプルです。

マスターは弟子にそのままを伝えます。

弟子もマスターにそのままを伝えます。

そして互いを知り、対話し、進化していくのです。

それが真実の教育というものです。

「あるがままを伝える」

「あるがまま」とは「真実」「現実」ということです。

見た目だけや、表向きだけ、、、そして

それに潜む闇は隠される、、、

そのような情報は「真実」とは言えません。

今、地上の教育現場(だけじゃないのですが、、、)では

真実ではないものが伝えられています。

その分野の情報もそうですが、

実際は「先生ではない人が先生の振る舞いをしている」わけです。

しかしそれとはわからないようにしているわけです。

わかると自分の立場がなくなってしまうから

必死に見えないように隠して、いろいろ振舞っている、、、

これが、真実の姿のはずですが、、、

多くの先生方はそれをお認めにならないか、認めたとしてもその振る舞いを止めないでいます。

つまり

「表向きだけ取り繕い、それを隠し、先生のように振舞って何かを教えてる、、、」

が真実であり、それが伝わっているのです。

さらに伝わった方もそれとはわかっていません。

隠しているので。(正確には隠せていません)

この状況は繋がっている領域から見ますと、、、、

もう、、、

めちゃくちゃです、、、、

そのめちゃくちゃな様をそうではないかのように伝え思い込もうとしている様が

さらにめちゃくちゃです。

なので、伝える側も

伝わっている側もめちゃくちゃになってくるのです。

それが地上の教育現場で現象として現れているはずです。

もうどうしたらいいのか???となってしまう事態です。

繋がっていることが前提での教育現場というのは

?はそのままにしません。

子供たちや若者たちの「?」に大人たちがどんなふうにこたえ、解決していくのか。

それに対してみんなで取り組みます。

それが双方にとって「進化」できる道であり

教育の意義です。

教育とは

立場や自分だけを守ったり

勝負に勝つためのものではありません。

自分やこれからの存在たちがよりよく生命活動でき進化する道を歩めるのか、、、

先人たちやたくさんのありとあらゆる存在たちが培ってきた英知を生かせるのか、、、

それを止むことなく形にする生き方。

それが教育の意義であり、役目です。

そして

過去も未来も今もすべて活用し、進化する教育方法です。

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金属・鉱物 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

金属といいますか、鉱物さんですね。

金属という言い方は、おもに人が鉱物から抽出し名前をつけている感じですね。

この地球自体は様々な鉱物さんたちが連結し、構成され、形になっています。(3次元だけで見れば)

それらの鉱物さんたちと人類も密接に繋がっていることが前提ですので

意識のある存在と認識され、対話され、ともに協力しあっています。

理由:

金属のもとである鉱物さんたちは人類よりも多くの歴史を体験し、様々な存在と共有しています。

そしてそれを自身に刻みながら生きています。

すべての記憶を有しているのです。

繋がっている領域では

それら鉱物さんたちの刻み、維持してきて情報を互いのために活用しています。

いま、地上でも多くの鉱物さんを使い、人が生活を営んでいますが、

残念ながらそれのほとんどすべてが「人にだけ都合のよい」生活、使い方です。

その鉱物自身やそれを取り巻く環境のことはほとんど考えられていません。

考えられるとしても

そのことが人に対してどんな影響があるのか、害なないのか、、というよいうに

これもまた人だけを優先させている目線での対策や対処なのです。

そういった角度から鉱物をとりあつかいますと

鉱物さんの立場を無視しているために、その鉱物の真の役割から外れた様になってくるのです。

それの現れが「腐蝕」「ザビ」などです。

位置関係や組み合わせ方、様々なものが

その鉱物、金属にとって最適な状態ではないために

「素」に戻ろうとしているのです。

まわりと協力して。

さらに、いまは本当に多くの鉱物さんたちのことを無視した使い方をしているので

素に戻る過程でもかなりの化学反応を起こし様々な生命体にとって毒となってしまっています。

いまの地上の科学や金属を加工する分野では

その金属に命があるという認識ではないために最適なものを作り出すことができない状態となっています。

そして結果

地球という偉大なる筐体に毒を作り出して

そこにいる細胞たち(人類だけではなく、様々な生物たち)を生活、進化できない状態にしているのです。

、、、、

、、、、

そしてこのことを

いまのわたしたちの体に置き換えてみてください。

、、、、

どんどん体の中のものをえぐり出され

かわりに使えなくなって、もとにももどせないゴミを体の中に入れ込んでいるのです。

どんなことになるでしょう。。。。

繋がっている領域からは

人類の体に起こっていることがそのまま地球に現れていると見えます。

鉱物さんたちが、それぞれいるべきところに位置することで

地球の体は健康になり、そしてそれらを構成している様々な存在たち(人類も)も

健康に生活できるのです。

繋がっている領域では

自分自身と、それが生きているこの星を同じと捉え

双方が健康に育めるように取り組みます。

残念ながら

いまの地上の科学はほとんどが

「現象として現れたものを解釈する方法」です。

「こうなったから、こうなんだ」という解釈の仕方です。

多くの鉱物さんたちや対象に対して、

「こうしてみたら、こうなった。だからこういうものなんだ」と決めつけてしまうのは

残念ながらコミニュケーションがかなり足りておらず、対話能力が非常に低いとも言えるさまなのです。

相手がどんなことを感じ

どんな影響を与えているのかをほぼ考えていない対話となります。

考えているとしても、相手を誤解したままの解釈となります。

そしてその対話の仕方は

結果、すれ違いを生み、互いの関係性が崩れていくことになるのです。

すべての存在に対して「対話しあえる」という意識、能力があれば

それらの存在たちから最適な情報を得ることが可能であり、

相手方を無視した実験や使い方をする必要もなくなります。

そのような環境下で科学というものを見つめなおすことができたら

いま、私たちに真に必要な最先端の科学と英知がすぐにでももたらされるでしょう。

それはどこかの宇宙から、、、という話ではなく(、、、そうかもしれませんが!?)

わたしたち人類のもとからある優れた英知から導き出されるでしょう。

いまはほとんどが封印されています。

皆様の心の中に。

その能力を戦い、勝ち、サバイバルするために使うではなく

「わたしたち人類だけはない、すべての存在たちが平和の中で進化できるよう使うんだ!」と

みんなが決断するだけで、素晴らしいテクノロジーはおのずと発生してくるでしょう。

そして

鉱物さんたちはそれのために

様々な情報、自らを提供してくれるでしょう。 

そうです。

鉱物さんたちは存在しているときからその心です。

地上のたくさんの金属、ジュエリーたちとも

どんな心でふれあい、ともにいるかでその空間は変わり

得られる情報も変わるのです。

決して腐蝕しない金属。

硬いけど柔らかくもなる金属。

フルスペクトルの光を発する金属。

重力を調整できる金属。

3次元から5次元まで移動できる金属。

、、、

鉱物さんたちとこれからどんな対話をしていくことになるのでしょう、、、、

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気候 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

そこにいる存在たちがよりよく暮らせるような気候、天気となります。

それを作り出し、コントロールすることが可能です。

理由:

すべては繋がっているので、自身の有様がそのまま天候に影響することは必然となります。

ですので、

自身の心の様をより快適なものとし、さらにそのまわりの環境、

存在たちにとっても快適なものを追求することとなり

それは可能となります。

風や水などの流れはそれぞれ単独で成り立っているわけではなく

それぞれが影響しあい、溶け合っていることで形づくられています。

そしてわたしたちの人類、そしてそれぞれの心もです。

人類の意識がブレて、キレて、暴走し、爆発すれば、

天候(天)はそれをそのまま反映するのです。

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木・樹木 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

樹木たちが切られることはありません。

意識をもった生命体であり、地球での使命を果たすために自覚して

そこに存在し、今もなお、それへの道をあきらめていません。

理由:

彼らはとても偉大な存在だからです。

そして

わたしたちに酸素を提供してくれているだけではありません。

大地の守り手として自覚し、地球、そして自身が進化できるように役目を果たそうとしてくれています。

彼らは自分の身体にこの地球で起こっていることを

記録しネットワークで共有しています。

彼らの真の姿は木として見えるものだけではなく

そのまわりには癒しのオーラをともなった様々なエネルギーが放射されており

そのまわりや下にいるものたちを助け、支えています。

繋がっている領域では、先輩にもなりうる樹木たちから様々な情報をもらい

みんながよりよい方向に進めるよう道を検討します。

今は

樹木は酸素を作り出す大切な存在として受け止められていますが、

意識があるとは思われていません。

そのために多くの木は切られ、その本数もさほど気にもされず、

最後には粉々にされています。

このように分離している意識から樹木さんたちをみると

考えたりできる人間とは別の生き物であって「心はない」とおもわれ、

ともに生きるメンバーというよりは人間にとって都合のよい使い方は、、、となります。

そして結果

大切な存在だとはわかっていても、それをそのように扱えない様になってきてしまうのです。

残念ながらその位置からですと

樹木さんたちが築いてきている叡智は分離し感じられなくなってしまうのです。

数百年前、さらにもっと昔の人たちは今ほど樹木さんたちとの分離が激しくなかったために

それなりによい対話ができていたとおもわれます。

その樹木さんたちが命を捧げ人が集まる場所として新たに機能する、、、

それへの樹木さんたちからのよりよい答えが受け取れていたとおもわれます。

しかし、人が領土を増やすための動きや

人だけを優先させた動きを台頭させてきたために樹木さんたちは協力しきれなくなっています。

彼らはなにも変わっていないのですが、

わたしたち人間が彼らからどんどん離れていっています。

そのために彼らの愛の声が聞こえなくなっているのです。

しかし

いまの地上でも

外で実際に樹木さんたちに触れ合い対話することで様々なことがわかります。

彼らはいつでも準備ができています。

いままでも、

いつもでも、

友人であると、、、

風に乗せてわたしたちに伝えてくれています。


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感情 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

安定しています。

今の人類のように機嫌がいいとき、悪いときや、いきなりキレるといったようなことにはなりません。

その時期があったとしてもそれはある年代で起こる一時的なブレであって、

ずっとは続いたり、ぶり返したりすることはありません。

理由:

感情に安定さが欠けてしまうのは

分離していることが前提である意識、それにまつわる歴史、行動のためです。

今、地上のほとんどのひとが選択している

「わたしとあなたは別々」という意識ですと、

「感情」が安定するために必要な時期や体験のおおくが、忌み嫌われ、

否定、拒絶され、封印され、なくなってしまい、結果、安定できない様を形にしてしまうのです。

「あなたとわたしはつねに繋がっています」という

繋がっていることが前提の場合ですと、

安定しない時期は長くは続きません。

ある成長期のすこしの間です。 

そして

不安定さがなくなるのは

何か強制的にそうさせられるものでありません。

自らそれを選択しなくなるだけです。

不安定さを体験する必要がなくなれば、

必然的に安定さを手にいれることになるのです。

人類、そして地下の方々(ずっとまえからいる)や、他の星の方々でも

だいたいこの形をした生命体は成長する過程で必ず通る道なのです。

熱いことを知るには

寒いことを知る必要がある

上を知るには

下を知る必要がある

といったように自己を対照的な側面においたり、みたりすることで

本来ありたい姿がはっきりしてくるのです。

なので、成長途中の若い頃にまわりに反抗するような行いをする時期はあるのです。

このことで一番大切なのは

その行為に対してまわりの存在たちがどう捉え、サポートするのかです。

今の地上では、、、

そのような子供達、若者達を、、

しかり、しつけ、強制しています。

、、、

しかし、問題の根本的な解決にはなっていません。

じつは、このことでの最大の問題は

たった今この「問題だらけのシステム」から導き出されているルールや常識、

それに染まり、そこからの位置から子供達や若者を見て

しかりつけている「我々、大人(だと思ってる)」なのです。

そんな大人たちがいくら言っても

治らない場合は施設に子供達を隔離して封印します。

そこでもさらに「問題だらけの社会」に戻るように方向付けようとします。

なんとか自分たちの枠に入れようと、、、

、、、、

この状態というは

まさに前提が分離していることから発生しています。

今、おおくの大人達は

「そんな子供がでてくるのはこの社会がおかしいから」とわかっています。

しかし、その社会を作っている長本人は「自分なのだ!」だとは思っていません。

「政治家たちが~~、、その子の親が~~」とまわりの責任だと思っています。

自分は関係ないしー

と、まさにその子や事柄から離れ、分離しようとしています。

このことからもわかるように、

そういった反抗するような行為をする子供達や若者が発生し、

さらにそれらをよりよく解決できない、、、ということは、

それらを生み出してきている大人たち全員の問題なのです。

もうずっと、、、

問題を出されて続けていますが、、、

まったく、、、解けていません。

そして、、、、もう解く気もない、、、様になっています。

俺らが解くんじゃないし~~

専門家とかいるんでしょ~~

、、、、

、、、、、

といったように今、

地上では感情のブレの対処の仕方がわからず、ほっておかれてきたために、、

なんで!どうして!と、

子供達や若者の声があがり、様々な問題が明るみになっているわけです。

繋がっていることが前提の場合は

そのブレに対して避けるようなことはありません。

その社会全体で受け止めます。

子供達や若者が起こす反対のことを否定することなく

あたたかく受け止め、見守ります。

ほっておくのではなく、しっかりとそのことを見つめ、なぜそのようになっているのかを知り、

そしてそれのよりよい解消法をよいタイミングで伝えていくのです。

では

なぜ、言うことをきかない若者たちの行為を否定せず、拒絶せずにいられるのか、、、、

それはまさに自分たちも

しっかりと通ってきた道だからです。

そして愛のサポートによりその時期を問題なく通り過ぎ、

今に至っているとわかっているからです。

繋がっていることが前提の場合の社会には

ぶれているときにどんな気持ちなのか、そしてどんなふうにサポートしたらいいのか、、、

それを必要なときに過去世も含めて引き出すことのできる師のような存在がいるのです。

しかし、今、ほとんどの大人たちが過去の恥ずかしい振る舞いを明るみに出されては困る状態でしょう。

それはその振る舞いを「よくないこと」のままにして、隠してきているからです。

まわりから否定され、仲間はずれにされることのないようにと

まわりと反対の振る舞いや衝動はなかったことにします。

自分ではなかった、、、と。

これでは

そのことが目の前に起こったときにどう対処したらいいのかわからなくなるのも当然です。

そこから目を背けることしかできない状態です。

自分がなぜ、反対側に行きたがるのか、、、

それは自身でその方向に進むか、たどり着くことでしか知り得ないのです。

その思いに制限をかけて、強制してしまうことでさらに

それへの思いが強くなります。

でも、動けないことからさらにストレスは溜まり

暴走、爆発します。

しかし、制限せずに見守り、サポートすると、、、

それは暴走には至らないのです。

暴走することが彼らのやりたいことではないからです。

まわりの制限のない愛のサポートがあることで、

その行いによって自身やまわりにも多大な影響を与えることを感じ取ることができるからです。

繋がっている領域では

そのことは子供の頃から伝えられています。

字や言葉だけではありません。

その社会にいる人たちみんなが「わたしたちは家族です」と認識し、それを体現することで伝えています。

しかし、身体の成長や感情の成長の過程でバランスを崩し、

どうしてもその道を通るのです。

そして

そのようなことはあって大丈夫。。。ということが前提にあるとすれば

そのような環境下では

自分の感情というものがどのように働き、サポートされ

形成されていくのかをちゃんと確認できるので

結果、不安定なままにはならないのです。

不安定なままにはならないことを知っているので

それが起きたとしても深刻なことにはならないのです。

今の地上のように大人たちがテンパることもありません。

ですので、

「あそのこの家の子が困ったことを!」

「誰の子かしら!」

というようにはなりません。

一人の子、若者の問題はみんなの問題なのです。

決してほっておくようなことにはなりません。

そういったことを実際に形にすることで

心、感情を安定させてさらなる進化をも体験できるのです。

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環境 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

そこに存在しているすべてがそれぞれの意思により、よりよく進化できる時空間となります。

もちろんその存在たちはその環境を皆で共有しあっていることを知っています。

理由:

繋がっている意識で

自分のまわりの環境、そしてそれを構成しているすべてに目を向けますと、、、

それらの存在たちのおかげで自分が今こうして生命活動できているということがわかります。

そのことはもちろん自分のまわりだけのことではなく

自分の中でも同じで

「自分のボディ」という捉え方があるなら、

その身体を構成している様々な要素たち、、、

そのおかげでボディを保てているわけです。

それらの存在たちが

この「わたしという自己」と中でも外でも融合してくれて

今の様が成り立っているわけです。

つまり、そのまわりの存在から見ると、、、

わたし自身もその存在たちを構成しているものの一部なわけです。

そしてそのすべてを構成している様々な要素、わたし自身も含め、

その動きが適切な場所でスムースに流れると

そこに滞りはおきなくなり、

作り出される環境はそれを共有している存在たちにとって最適なものとなるのです。

そこにいる存在たちが最適な動きを自身の意識のもと決定し実行しているのであれば

そうのような環境が生み出されるのは当たり前です。

「それを形つくろうと、そう動いている」からです。

それはつまり、

人類という枠があるとしても

その人類は「環境」というものの一部であって

その人類の状態と

まわりの環境の姿、変化はすべて連動しているということです。

繋がっている領域から地上の環境をみますと

人類だけが「環境」と自身を切り離している意識のまま生活(生命活動)しています。

そのために自然の営みで起こる出来事を「災害」というような呼び方をします。

ほかの

ありとあらゆる存在がそれぞれの形で生き、進化しようとしている。。。

そしてこのことが前提となっていますので、

みんなで協力して作り出そうとしています。

そして人類に呼びかけています。

太古の昔から。

ですので具体的には、

繋がっている意識の場合、

街、道、ダムを地上に作ることはありません。

もちろん人もそこ(地上)を共有していますが、

その場で生命活動するに適しているのは鉱物さん、植物さん、動物さん、虫さん、お魚さんです。

それらの存在たちが存分に変化し、進化する場所です。

私たちもそこに訪れる(謙虚に)ことはしても問題ないかと思いますが、

家をたてて住まないといけない理由はありません。

まわりの環境も自分と同じように意識、意志があり、進化したいのだと知れば

それらの流れを滞らせるような位置や行動は選択しなくなります。

自分自身もどこで生活したらよいのかも導き出されます。

ご心配なく

それに伴って地上の存在たちに害のないテクノロジーも開発されます。

地球全体にとって最適な場所がそれぞれあるのです。

地球がひとつの生命体だとしたらそうではありませんか?

細胞が勝手な動きを、、、

細胞と細胞が殺し合っていたら、、、

細胞が生きることができないところが増え続けたら、、、

地球は具合が悪くなってしまうわけです。

でもその細胞たちが自身の役割を自覚し、

みんなと協力して、自分、自分たちである地球をよりよい状態にしていくことが可能なのです。

今、そのよりよい位置関係を「人だけ」を優先させ位置付けようとしているので

問題が生じ、地球環境もそれに連動し病んでいるのです。

分離していることが前提で生活していると、、、

どこかの環境が壊されてる、、、が

自分が壊れてる、、とはならないのです。

あそこが

どこかが

となってしまい自分から切り離します。

そのために破壊が止まりません。

さらにその生き方をやめません。

これでいいんだって思い込みます。

仕方がない、、、と。

しかし

自分と環境が連動し、成り立っていると真にわかり、

行動を新たにすれば

すぐにでも環境は改善されるでしょう。

人類がよりよく住むには地下が最適なようです。

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癌 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

癌はなくなります。

癌からのメッセージが必要なくなります。

理由:

つながっている意識から「癌」をという存在を見ますと、、、

それはその人、本人へのメッセージとなります。

「このまま、行くと、、、やばくない?」

「変えた方がよいのでは?」というメッセージです。

何を変えた方がよいのか、、、

そしてどこからのメッセージなのか、、、

自分の道を修正した方がよいのでは~という

自分からのメッセージです。

それの中身は~~~

その人が封印してきたこと、、、

なかったことにしようと、、、

もう忘れたこと、、、

切り離されてしまっている歩んできた真実の道、、、

そして自分が一番知っている受け止めたくない現実、、、

その部分からの声です。

自分自身からの叫びです。

闇に葬られている過去、、、

そして闇のままの未来、、、

そこからの緊急メッセージです。

なので、つながっている領域からみますと

癌は先を予見していることから見ても

周波数的にはより高くなっていて進化した存在とも言えるのです。

いま、地上でボディを去るという形態が同時多発的に起こっていることは

自然の流れからするとありえないくらいのブレ具合です。

しかし、地球、そして宇宙の流れの中で

それをせざるを得ない状態でもあるのです。

ボディを終了させてリセットさせた方が

自身だけではなく自然の流れにそっているという領域からのメッセージです。

それは

自分の身体のことだけでの話ではないのです。

自分の真の役目を、、、

この宇宙にこのタイミングで、

この地球に、

このボディをともなって

やってきた理由、、、、

それの役を果たせないのではあれば

このボディは機能を停止します。

そして法則により朽ちて素に戻ります、、、

と。

一番、深いところにいる自分からの声です。

自分だけの思いではなく

全体とした自分の意思です。

そして

癌が登場する箇所にも意味があります。

その人が歩んでいる中で役目を果たせないことで

滞らせてきたところがあるはずです。

その人の歩みの中での食事や環境

そしてそれらを選択する心、、、、

それらを滞らせているためにそこから声があがります。

それを掘り下げれば、

そのストーリーを自身で掘り起こすことができれば

「なぜ、そこに?」という答えもわかるでしょう。

そこの場所から

「あれれ~~??まじでこのまま行くんですか?やばいっすよ」との声、、、

このままいくと、、、って。

どこにいく???

どんな道???

「言ってることとやってることが違う」道。

理由はいずれにしても

その声を無視していると、、、

そしてさらに進もうとしていると、、、

声は聞こえなくなるわけです。

どんどん違う方向に行ってしまっているわけですから。。。

悲しいかな、、、よい歌を歌う人たちやよい芝居をする人や、、、

アーティストたち、、、も若いうちに癌になって、、、という話がありますが、

彼らは歌や表現で「愛」を伝えてくれていたのですが、

自身はそれを体現しきれずにいたはずです。

そしてそれは自身のことを優先させたものではないのです。

多くのひとのことを考えて自身を投げ打っている様です。

それは経済の流れです。

それを「潤滑にするぞ!」という枠の中で活動することを強要されてしまっているのです。

そのため、気ままに歌うことができなくなり、

癌のメッセージがきます。

彼らのエネルギーはパワフルなので、そのメッセージも強烈です。

そしてその強烈な癌に、、、

、、どう対処しているかと言いますと

ほとんどのお医者さんは「癌と戦う」「癌に勝つ」という考え方のもと

様々な策をたてておられます。

しかしこれはつながっている領域から見ますと

「自分を攻撃するための策」に等しいのです。

「本当の自分の声」に対しての攻撃です。

これはまさに

分離していることが前提の意識のおかげで

自分にできているものなのに、それを自分とは思えないわけです。

自分ではない何かが現れた!!となっているわけです。

そんなものは切り取らなければ!!

これはつながっている意識から見ると、、、

ん~~??となるのです。

「自分を切り取ってもね~~。しかも本当の自分を??」

癌が再発するのはそのためです。

再発している方は選択の仕方を変えていないと思われます。

自分の本当の思い、心を切り離すことなどできないのです。

癌を本当に無くしたいのであれば

癌とは戦わないことです。

それはつまり、、、

自分と戦わないということです。

自分の選択と、、、

いままでの自分と、、、

これからの自分と、、、

封印してきた自分と、、、

戦わずして望みを叶えられる方法を見つけることです。

(それがいまの人類の使命でもありますが、、、)

その方向性で動きはじめたとき

地上で言われているような癌の症状はなくなるでしょう。

そしてさらにイキイキするはずです。

だって本当の自分が道に加わるからです。

そしてくどいようですが、、、

本当の自分というのは、、、、

いまのお金を中心とした世界の中で機能する自分ではありませんのでご注意を。

それらを超えたところで機能する自分です。

それは、、、

地球の平和を維持、管理する仕事、、、??

宇宙を探索、記録し、未来につなげる仕事、、、??

どこかの星の戦いをなくす仕事、、、??

選択の可能性は無限大です。

それをオンにしたとき、癌(本当の自分)からの声は

叫び続けるのではなく、

溶けて流れ、そのあとには

本当の自分が形作られていくのです。

癌とは

未来のあなたからの声、シグナルなのです。

、、、、

あ~~

地球が見えるな~~

ン?

おや?

なにやら地球の具合がよくない!

ん~~??

なんだ、この塊はーー!

こいつが悪さを!

いったい何者だ!

突き止めてやるーー!

おー、、、

日本だー、、、

おー、、、

東京だー、、、

お、おー??

俺だー、、、

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河 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

お水さんが流れたいに、そのまま流れます。

それに人が関わることは極力少なくします。

理由:

お水も生命体だからです。

お水が生きている、、ことは地上では常識ではありませんが、

そもそもわたしたちのこの身体も多くがお水で成り立っています。

生きているという表現でなくても

生命体を育むために必要であり、つねに流れ、新しいものに入れ替わることがよいとなっています。

それはまさに

お水が生きていてる、、、

イキイキしていることが必要な生命体と言えるのではないでしょうか。

しかし、いま地上では分離している考え方から

お水は自分たちとつながっている意識のある生命体であるというように捉えられてはいません。

そのために、

河をダムでせき止めたり、

人の生活のためだけにお水をひき

そしてその人の生活で出た汚れを河(お水)に流しているのです。

もらっておいて、かえしているのが、、、、あたたた、、困った状態ななわけです。

つながっている領域にはダムはありません。

もちろんお水やその流れを利用しますが、

彼らの流れを滞らせるような使い方はしません。

お水の流れを歪めるようなものは返しません。

お水さんたちの心のままの流れをありがたくいただくのです。

そういった意識でお水と対話することで

お水やこの身体も決して汚れるようなことのないテクノロジーが導き出され、

互いによりよく生命活動、、、生活ができるのです。

そのため、お水さんたちからも最高のギフトをもらえるのです。

地上のほとんどのお水が人の都合を押し付けているためパワーがなくなっています。

しかしつながっている領域でのお水はあるがままに生きているので

それを人が取り込めば、、、そう、まさにイキイキするのです。

今の地上にもそういったお水さんと対話できる場所があります。

しかし、多くのお水の流れは人の意識や

それに伴う行動の結果、大きく歪められているのが現状です。

お水の流れ、、、

河は、地球という生命体の循環器と循環するエネルギーです。

それを止めないことで

それにつながるわたしたち身体の循環機能も改善します。

河の流れをそのままにしても

わたしたちがよりよく生活できる生き方、

テクノロジーを導き出せばよいのです。

みんなの中の真の流れを発揮すれば

それを導き出すのは、、、、

さほど難しくないでしょう。

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体 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

人体は劣化しません。

本来、そのように作られているそうです。

自分の夢が形になるための最適な身体となります。

自分の役目を果たすために必要な身体となります。

理由:

まず、劣化しない、、、というのは??

「そんなわけない!」と思われるかもしれませんが、

つながっていることが前提で動くと身体は

それに必要な身体となっていくのです。

それが自然の法則です。

現代の科学でも人体を構成している細胞は数年のうちにすべて新しいものに入れ替わるということがわかっているそうです。

なのに、どんどん時間が過ぎると同時に劣化していく、、、

そして最終的には動かなくなる、、、と。

なんで?

遺伝子のせい?

んー?

生命の神秘だー

となっているのが~~

現代の科学や常識なわけです。

しかし、繋がっている領域から「人体」を見ますと、、、

細胞が完全に入れ替わる、、、ということもそうですが、身体は劣化はしないのです。

ではなぜ?

それは意識(心を向ける角度)、そして環境、食事です。

これらのことがある領域に達すると劣化するという言葉は使われなくなります。

進化あるのみです。

まず、意識です。

繋がっている場合では「死」という価値観は存在しません。

「死んでおわる」という価値観は分離している意識から生み出されます。

生命がどのように機能しているのかが分離し不明なままになっているので

「ボディが動く=命がある」

ということが常識となっています。

動くはずの自分の体が動かなくなってたら、、、おわる。

たしかに、そんなふうに動かなくなってしまったら「おわったんだ!」思ってしまうかもしれません。

自分では動かしたいのに、動かなくなってしまう、、、、

そしておわる、、、。

どうせ体は、、

どうせ自分も、、

「そうなるんだ」「そういうものなんだ」と決めつけたところで進めば、、、

その方向で進んでいるので「体が動かなくなる」という目的地にたどり着きます。

意識というものは本当に強力なもので、実際にその方向性に位置付けるのです。

「体は永遠に保つことができる」という意識が揺るがず、

そして実際にその意識で進めば、それに至るように方向づけられるのです。

いまの地上でもこの意識を使うことでかなりの若さを保っている人もいます。

しかし、意識だけは足りません。

まだ必要なものがあります。

環境です。

その意識が反映され、そのまま形になるための「環境」も重要です。

例えば、人が快適に生きるために必要な酸素や水、他にも多くのエネルギーが必要ですが、

今の地上のように環境を作り出してくれている様々な存在たちの流れを滞らせて

本来の役目、力がほとんど封印されてしまっている環境では

人体もそれと連動するのです。

今、まわりの環境をよーく見たら、

人体に起きている様々な病気とまったく同じ現象が見えるでしょう。

わたしたちの集合意識がまわりの環境、存在たちに大きな影響を与えています。

それがわたしたちの人体にまた戻ってきているのです。

それに謙虚に向き合い、自然の動きの逆境するような動きがなくなると

病気というものはなくなるでしょう。

どこかが故障したり悪くなるような使い方、環境じゃないわけですから当たり前です。

繋がっている意識で形作られる環境というものは

そこにいると認識しているすべての存在が、それぞれ役目があることを理解していますので、

それらの流れを互いに滞らせることはありません。

身体もそれの恩恵を受けますので、病気というものがないということもそうですが

身体の中身も、まわりからの見た目でもそれにふさわしい姿になるでしょう。

その環境、そして自身の真にやりたいこと、形にしたいことが叶う身体になるのです。

それがすべてがあるべきところにおさまっている、、、

役目を果たし、ともに進化している姿であり

平和という状態です。

その流れに逆らわないわけですから、それがそのまま形になるのです。

べつな言い方としますと

光の法則です。

光の波の一粒一粒が最適な場所に到達すると

光は心の震動波と連動し最高の状態を即座に作り出すのです。

光をあてて、、、光になって

自分を最高の状態に投影させるわけです。

、、、

と、話がすこしそれましたが、、、

この身体というものを構成し、維持できているのは

それを支えてくれている

環境があるから、

と、それを形作ろとする心、意識、、、

そして三つ目

食事です。

自分の中になにが取り込まれていくのかによって

自身の流れも大きく変わります。

環境とも大きく影響しますが、

どのような周波数帯のものを摂取するのかで自身の周波数もそれの干渉を受け影響するのです。

そして見えるものとして取り入れる食べ物のほかに

エネルギーとして取り込まれているものもあります。

そういった総合的なエネルギーの流れによって

このボディが形作られています。

現代の多くの人がお肉を食べていますが、

本来、人体というのはお野菜さん、果物さん、穀物さんをいただくだけで十分だそうです。

しかし残念ながら、今のお野菜さんたちのパワーはかなり歪められ、

真のお役目が果たせない状態になっていますので、

どうしてもパワーがあるとされているお肉をたくさん食するようにしているのです。

なぜ、お野菜さんたちのパワーが発揮されていないのか、、、

おわかりですね。

はい

人が、環境やお野菜さんたちの本来の流れやスピードに大きく介入しているためです。

人の生活だけを優先させたシステム、、、日常が、、、

土、風、水、お野菜、動物さん、、、それらにすべてに大きく影響を与え続けています。

お野菜や果物たちは私たちのこのボディを最高の状態にするために自覚し存在してくれています。

今も、今までも私たちに対する彼ら姿勢を見たらわかります。

わたしたちを養ってくれている感謝する存在でしかないわけです。

しかしいま、、、

お野菜、果物、穀物たちはお金を動かすためのツールになってしまっています。

そのために

みんな本当の価値を見出してもらえずにいます。

真価を発揮できていないのでパワーがかなり落ちています。

それによって「もっともっと多く!」というような作り方になり、、、

様々な流れを歪め滞らせて、結果さらにパワーのないものが作り出されてしまうのです。

私たちはそれを必死に急いで食べているのです。

現在「不食」というものもありますが、

これはつながっている領域からみますと

「本来の姿からかけ離れてしまっているものは取り入れない方がよい」ということです。

この場合、取り入れているのは宇宙エネルギーが主になるわけです。

それらが取り入れやすい、人里離れたところでしたら

それなりにボディを維持できると思います。

でも、若さを保ち続けるのは難しいでしょう。

さらに、雑草などは人の思い(お金へ思い)の周波数の影響をほとんど受けていないということから

かなりパワーはあると思います。

他のお野菜さんもそれを世話する人がお金を得るためにやっている意識がない場合は

それなりにパワーは回復している可能性があります。

いずれにしても、いまの地上で食べられている食事のスタイルでは

身体を維持、進化させるのは難しい状態です。

繋がっていることが前提の場合、

その食事のスタイルも大きく変わります。

まず「動物たちには心がある、私たちとは家族であり、友人である」となっているのでお肉は食べません。

お野菜たちもまわりの環境とそしてそこにいる存在(人)と共鳴し

本来のありたい姿、パワーでいてくれます。

そしてわたしたち、人の中に取り込まれることを望んでくれています。

果物なども、そのもとの樹木を切ることがないので

樹木たちから最高のギフトをもらうことができるのです。

それをありがたく、いただき、融合してもらうのです。

そのような意識、そして対話、協力によって

身体はその人の心のままにイキイキと形作られるのです。

意識、こころ

環境

食事

がしっかりと役目を果たせる位置につくと

身体は劣化しません。

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神 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

神とは宇宙そのもの、そしてそのはたらきと意思です。

それは宇宙を機能させる法則であり、

そのはたらきにと意思によってすべてが創造されています。

しかも、そのすべてには「個性・資質」があり

それぞれの自由意志に基づいて進化が可能です。

そして

その有様自体が宇宙であり、神と等しい有様となります。

そのように繋がっている領域から見れば

もちろん人という存在も神です。

人以外のまわりのすべての存在も神です。

神ではない存在はいないのです。

神(宇宙)から神(宇宙)の意思で、神(宇宙)の法則で創造され、

その法則で成り立っているのですから当たり前ですね。

理由:

今の地上で言われる「神」は

大概は宗教的な側面、立場で捉えられています。

一神教、多神教、宇宙神、神の使い、、、など

様々な捉えられ方、使われ方をしてます。

そしてその「神」は自分たちとは違う。

「自分たちには決してなれない存在」と位置づけされています。

ゆえに

崇める、奉る

などの思い、行為にもなってきます。

逆に「神であろう」とすれば、疎まられます。

「神さまに失礼だ!」「なれるわけないだろ!」といった感じで。

これは自分と神を切り離している意識からうまれています。

「そばにいる」とは思っても、それは自分ではない。。としています。

そしてそういった「神の存在」が自分たち人間を上から見て

コントロールしたり、眺めたりしているんだろう、、と。

そんな神に祈ったり、お願い事をすると叶えてくれたり

導いてくれたりする、、と。

でも、、、

それを信じきっているわけではありません。

そうであったらいいな~と願っている状態で、

結果、ほとんどの人が

「神さまを信用していない、、できない、、」ということになっているのが現状です。

そしてそれは今の地上にある「神話」の数々を生み出しています。

「神が罰を与えた~」とか

「神と神の戦いが~~」とか

「神が堕ちて~~」とか

「神が救って~~」とか

いろいろな設定で存在しています。

繋がっている領域から見ても、これらの話はすべてが作り話ではなく

実際にそのような物語はあったことでしょう。

しかし、それは私たちとは違う「神さま」が起こしたことというよりは

我々、人間のやってきたドラマのことを神のごとく見立てているのがほとんどなわけです。

本当に神であるのなら

神は戦いません。 本当の神は戦わなくても願い、望みが叶う方法を知っています。

神は罰を与えません。 本当の神は罰など与えなくてもよりよい結果を導かせる方法を知っています。

今、地上で言われている「神の名の下に、、、」というのは

ひどい押し付けです。

すべてのことは最終的には自分(人)が決めているはずなのに、

「神がやれっていってるから~~」

「神が許してくれてるから~~」

「神が罰を与えてるんだ~~」

って、どこぞの神さまの責任にしています。(自分が神なのに~~)

これは

「自身ではなにも決定できない!しちゃいけないんだ!」と決めつけているのにもかかわらず

動いたら動いたで「神に動かされた!自分の責任ではない!」と自分自身を守り、

さらにはその自分の思いや行動が自身やまわりに

どんな影響を与えるのかを正確に察知できない非常に未熟な様なのです。

、、、、

「神に助けを求めてる」状況ですね。

「わたしにはなにもできませ~ん。神よお導きを~~」と。

繋がっているところから見ますと、

それは、自分自身に助けを求めているのと同じです。

しかし、自分が神であることを知らなければ、、、

自身を助けることもできないわけです。

今、地上の人々は

まさに神の心を忘れてしまっている神なのです。

分離のマジックにより、自身が神の存在である事実が離れてしまっているのです。

神のごとく選択し、行動することができる、、という自分が切り離されてしまっているのです。

繋がっている領域では自分、そしてまわりも神なので

神と自分を切り離している「宗教」というものはなくなりますが、

神への思いや姿勢はあります。

そして地上の「宗教」よりも強い意志、心で向き合っています。

神は遠く離れた存在ではなく

神はマスターであり、友人であり、兄弟であり、パートナーであり、自分自身なのです。

神の心、行為を実践していく、、、。

一瞬一瞬。

それは

宇宙が平和によりよく運行するための心、行為です。

それを決してやめない強さです。

分離のマジックにかかってる、、、

自分だけ、、、

自分の家族だけは、、、

自分の国だけは、、、

自分の星だけは、、、

ではなく、、、

宇宙がありとあらゆる存在で成り立っていて

それらすべての存在たちがよりよく進化するために必要な心と行為こそが神の有様です。

人はそれを選択し、実行することができる存在なのです。

すぐにでも。

神と自分が繋がっているひとつの命と認識できたとき

それは可能になります。

今、人類はその選択、方法を見つけ、実践できるかの岐路に立っています。

そしてそれは今までの延長線ではなく

まるで違う道、、選択となります。

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お金 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

お金は必要なくなります。

理由:

お金というのは分離している世界でだけ有効なものです。

生きるためにサバイバルをする必要がないので

サバイバルに必要なものを買うこともなくなります。

日常品や、日々の食料はすべて無料となります。

そんなことは無理だ!と思われるかもしれませんが、

その日常品や食料をみ~んなで作れば、なにも問題ありません。

分離している意識での仕事というのは

誰かが得をして誰かが損をする、、といったように各仕事に優劣が生じてしまっていますが、

繋がっている意識での仕事には優劣はありません。

すべての仕事が同じように重要なのです。

例えば、ゴミを片す仕事と評議会でみんなの指針を決めていく仕事も重要さに変わりはないのです。

繋がっている領域からすると、

自分の仕事は他のまわりの仕事と密接に関係していることを知っています。

どんな仕事も重要であるとわかっています。

もちろんそれはその仕事の成果が出ているからです。

そしてその成果とは

「平和」です。

自分の仕事が「平和」に繋がっているとわかったとき

それ以上のギフトはいらなくなります。

ですので

得で楽な仕事をしてたくさんお金をもらってさらに楽をしよう~~という気が起きません。

日常品や食料以外の芸術品や芸能などは

物々交換の手法でやり取りされます。

その方がそれぞれの真の価値を有効にしてやり取りできるのです。

今、物々交換が成立しないのは

それをお金という価値観の中におさめ、その中でできるだけ価値を大きくしようとする意識があるからです。

それは本来の芸術や芸能が意味するものとは違う価値に変えてしまうのです。

そのため、真の物々交換ができない状態になっています。

命よりも大切なお金、、、、

お金がないと生きられない、、、

お金を得るために生きる、、、

そんな「お金さん」と対談してみてます。。。

ご興味ある方はどうぞー

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家族 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

家族という枠に制限はありません。

枠はあったとしてもそれによって家族として分断されることはありません。

種族や家系などの系統があったとしても、

それぞれの系統は繋がっていて、さらに影響しあい、

機能しあっていることを認識しています。

それが「家族である」と認識しています。

つまり

「家族でないものはいない」ということになります。

理由:

実際、今の科学の目線でも

すべての存在物は同じものから作られていることはわかっていることです。

その観点から見たら、すべては兄弟であり家族なはずです。

その同じものを共有してそれぞれの役目を果たし、

共感し、感謝のもと進化していくことが家族の意義です。

今の私たちの身体、

そして考え方や価値観は

突如としてポンっと出てきたわけではなく、

はじめに何かが発生し、融合し、変化し続けているから

今に至っているわけです。

その歩み、変化してきた道をすべて有効にするとすべての存在は家族となります。

しかし、その道を自分から、そしてまわりから切り離して無効にしていくと、、、

え?家族なの??

家族だっけ??

家族のわけない!!

となります。

、、、、

なぜそんなふうに考えるのか、、、、

これはやはり「分離のマジック」によるものなわけです。

生まれたときから「すべては自分と離れています、、、なので、繋げましょう~~!」

とすりこまれてマジックにかかります。

このマジックは一見、繋がろうとしたものを得ることになりますが、

「離れている」という思い込みが、繋げたものがどこかにいってしまうのでは、、と不安にさせるのです。

そしてその不安を消すためにまた何かを得ようとする、、、、

それの繰り返しです。。。

マジックにかかっている状態です。

得ようとしても得ることができない。

得たとしてもそれを守ることで疲れ果てる。

さらにマジックの効果はあります。

自分が過ごしているたった今の瞬間がどんどん切り離されていっていくのです。

忘れて去られていく、、、日々、、、

素敵な思い出も、、、、

と、、都合よくすてきな思い出ばかりではないわけです。

例えば、

実際はつらくて嫌だった道の連続、、、、だとしたら、、、

そういった道だからこそ、、、忘れてしまいたい、、、

思い出したくない、、、、

そんな思い出はない!

そして、そういった生き方は、、、

事実を認められず、その事実を隠す道になってきます。

嘘をつき続ける生き方です。

結果そういった生き方は、、、

実際にはちゃんと自分たちが採用している「血が繋がっていれば家族」という価値観があるのに

その家族を信用できない、、、、

その家族に嘘をつく、、、、

その家族を傷つける、、、、

その家族を追放する、、、、

という今の様を生み出すのです。

このように実際「家族」というものが「幸せ」だけを運んでくるものではないという危うい状況の中でも

やはり分離のマジックにより「ひとりでいるよりもやっぱり家族がないと、、、」となり

やっとの思いで「家族になれた!」としても、今度はそれを「なんとか守らないと!」というようになって、

結果、家族に属するものを厳しく強制しだすわけです。

「ルールを守れ!でないと壊れる!」

これは繋がっている領域から見ますと、やはり??マークが出ることなのです。

そんなに強制的にルールを押しつけなくても家族はちゃんと機能するからです。

そして家族は決して壊れないからです。

今のメンバーが家族でなくなることはあり得ないのです。

自分という存在を曇りなき眼で振り返ることができれば、

自分を支えてくれていたメンバーじゃない存在は見当たらないでしょう。

しかし分離している意識では、

その支えてくれていたメンバーの全部を見て、感じることができずに

目線から逸れているというだけで大切なメンバーを家族ではないと認識してしまうのです。

その誤解の結末が戦争です。

家族同士で奪い合い、殺しあう。

分離のマジックがなせるものです、、、

「もともと家族じゃないんですよ」というところからはじまるのと

「もともと家族でしたね」というところからはじまるのでは

すべてが違ってくるのです。

「家族ではないので、家族でありましょうー」という前提のもとに作られるルールと。

「ずっと前から、そしてこれからも壊れることのない家族ですねー」という前提のもとに作られるルール。

まるで違ったものになります。

つまりそこで創造されるものもまるで違ったものになるのです。

今の地上の問題のすべては

「家族であるはずなのに、家族でないかのように振舞っている」ことにあります。

実際には繋がっているのに、そうではないかのようにしていれば

不自然なことになるのは当たり前です。

もちろんこれは人に対してだけではありません。

まわりの様々な存在たちを真に家族と認識し、関わっていくことができれば

そのまわりから家族のごとく真のサポートを受けることができるのです。

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風 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

風はおだやかにスムースに流れます。

乾いたものではなく、適度な水分や様々なエネルギーをのせて運びます。

今の地上のような突風が発生したり、台風やハリケーンなどは発生しません。

風も意識をもった存在です。

それらの心と動きを制限せず、自由にしてもらうことで

すべてはスムースに流れるべきところに流れ伝わるのです。

理由:

風は温度や地形などによってだけ起こされるものではありません。

そこに存在している様々な意識やエネルギーと連動しています。

その場を共有しているものたちがおだやかな意識であれば

そこに吹く風もおだやかになります。

その場を共有しているものたちの感情が不安定で

時に爆発したりさせれば、そのエネルギーは天に向かい天候に影響するのです。

その強烈な風で滞っている人々の意識を洗い流すわけです。

そうしなければ、その滞っている意識のエネルギーが

自然やまわりに与える影響は計り知れないのです。

繋がっている領域では

風の流れを妨げるような構造物はないためにすべてがクリーンです。

新鮮なエネルギーをみんなが受け取ることができるのです。

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学校 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

様々な分野、視点のことを学び、体得できます。

それに対して通常、時間などの制限はありません。

(なお、繋がっていることが前提での人の寿命ももちろん「好きなだけ」です)

いついつまでに資格を得なければランクが落ちるなどの期間や歳の制限はありません。

体得するスピードが遅いからといって劣っているということにもなりません。

自身が真にそれを体得するための時間や空間は自由に選択できるのです。

それぞれの資質、役目があるのです。

理由:

その子供や個人、グループがよりよく進化していくために必要な技を身につけるには

その人なりの道をその人なりのスピードで進む必要があります。

それらを統一させて同じスピードにしようとする方向性は、

結果その人の本来の良さ(使命)が発揮される道が封印されてしまい、

その人自身が生命活動する場、地球、宇宙の運行にも影響を出すことになるのです。

繋がっていることが前提での学びの場は

それぞれが希望のものを体得することを賞賛し、手厚くサポートします。

なぜなら。その体得したことは

自身だけではなく、まわりの存在すべてにとっても素敵なことであり大切なことだからです。

そして、その道を極めたと誰もが認めている存在から、それへの道の最適な歩み方を教えてもらい

ともに進化し、その技を極め、自身とそれにつながるすべてに対してそれを使うのです。

それらを体得できるところが学校、教室です。

今の地上にある一定量の情報を一定期間内に叩き込む施設とは違います。

その本人が必要な情報は「必要なだけ」もたらされます。

その生徒には何か必要なのかを教師がちゃんと把握しているからです。

そして

その情報も、ある特定の人物が分離した目線で見て、都合のよいところだけを選び、解釈しているものとは違います。

今の地上の情報というのは、分離している意識からほとんどが都合よく書き換えられているか、

全体のほんの一部分だったりするわけです。

さらにはその情報を発見、保持している存在の立場をなんとか保つために様々操作がされています。

そのような意識で操作された情報はそれを受け取った存在を混乱させます。

さらに子供のままであることを自覚していない大人たちが「先生」と名乗り、

さらなる操作をして伝えている状況です。

もう、めちゃくちゃです。

そして結果、

その情報が伝えられたものにとって真に必要ではないために

その情報を生かすことができずに日々を過ごし、進化できないまま

体だけ大きくなっていくのです。

多くの人たちは

紙に書かれた問題の答えは導き出せますが、

それ以外の紙に書かれていない問題、、、

子供達の問題、学校内の問題、それに関わる人たちの問題、、、、

つまり「意識や精神に記されている問題を全く解決できない」という現状を生み出しています。

問題を解決できない人たちが問題を出して、子供たちを判断し制御しようとしている状態です。

自分たちが問題を解決できないので、それ以上に問題が起きないように!という設定で囲みます。

答えがわかることにしか目を向けない姿勢です、、、、

わからないことは知らない、、、そんなものない!、、、、あるわけない!、、、と。

様々なものから目を背ける生き方になってきます。

それがまさに分離のマジックにかかっている状態なのですが、

そのような生き方によって、

真の問題の正解からも目を背けてしまうことになるのです。

繋がっている意識、領域での「先生」というのは問題が発生したとしても

それを解決できる能力をもった人、もしくはそれへの道を知っている人のことです。

もちろんその解決法は誰かや、どちらかが妥協するようなものではありません。

双方が真に納得できる道に導くことができるのです。

どのようなところにフォーカスしたらよりよい答えが導きだせるのかを知っています。

今は

「そんなこと無理だ!」と思われています。。。が、、、

たしかに分離している意識では無理です。

双方がちゃんと納得できる方法を導き出すには、

それぞれの過去の歩んできた道をしっかりと見つめ、引き出す必要があるからです。

先にも書きましたとおり今の都合のよいところだけを出して

都合の悪いところは隠したり、嘘をついたりした情報では真の解決法は見つからないのです。

だって、その隠しているところにこそ答えがあるんですから、、、、

真の教師、先生、師というのは、自分のすべての歩み(過去世も)を生かし、必要なときにそれを引き出し、

同じ間違いをしないよう、そしてよりよく進化できるように、その後ろを歩いてきている存在たちに自身を伝える者のことです。

それへの道で腹を立てたり、生徒を下に見たり、立場を必死に守ったり、、、

そんなことをする必要はどこにもありません。

そうだとしたら、それは先生ではないことの証明です。

自身の道を生かし生徒たちにちゃんと伝えきれていないのですから。

ちゃんと伝えることができていれば怒るようなことにはなりません。

今は「情報は教えるからあとは知らないよ~~」なので、残念ながら伝わりません。

「情報を共有し、ともに歩みましょ~~」となれば、自然と子供たちや生徒たちはついてきます。

しっかりと見つめ、ともに歩こうと。

その過程で何で生徒に腹をたてる必要があるのでしょうか?

生徒や子供達がマスターの真の心を見極めることができずに

感情的になることがあるかもしれません。

しかし、それを否定せず「あって当たり前のこと」と受け取り

優しくサポートすることによってその感情は次第にコントロールできるようになるのです。

多種多様な感情の現れを拒絶せず、あたたかく見守り、受け取ってもらえる環境があると知り、

さらに自身が学んだことがすべてに対して有効であり、さらに愛の角度で関わっていることを知ることができれば

まさに「すすんで学びたい!」となるのです。

学びは押し付けるものでもなく

無理に体得するものでもないのです。

自身にあった歩み方があるのです。

それをサポートし、ともに歩み、賞賛し、進化できる場が学校です。

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科学・科学技術 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

地上では科学の分野と精神、意識は別、もしくは別分野のこととされていますが、

繋がっている領域では科学と精神(心)は密接に関係しています。

そしてそこから導き出される科学技術とその恩恵は人だけに対するものではなく

他の存在たちすべてを考慮されたものです。

それゆえにその科学技術やアイデアに対して、そのまわりのすべてからの最善の協力があります。

理由:

地上では、分離のマジックのおかげで科学と精神はわけて考えるべきとなっています。

精神のことは科学ではわからないから。

科学のことは精神ではわからないから。

とされています。

しかしこれはどうじに

科学では科学も精神もわからない。

精神では科学も精神もわからない。

ということにもなる。

なぜなら

今の科学でも哲学的な側面でもわたしたちがどうして生きてるのか、

そして「命」ことは説明しきれなかったり、不明な状態だからです。

「そういうものだから、、、」「そう言われてきたから、、、」というしかない状況です。

つまり

「なぜ自分がこうして動いていて機能しているのかわかりませ~ん」となっている

その「人間」という存在が思いついている科学や学問なのです。

今は、

細かくは見ることができたとしても、

見えたものがなぜそうのような形、または役目になっているのかは不明なままになってしまうのです。

何かと何かをぶつけてみたらこうなった。

何かを熱したらこうなった。

何かを潰したらこうなった。

といったようにすべて何かを影響させて現れた現象から物事を決めるやり方です。

「細かく見る」というやり方も「光」をあててかえってきた映像からそのような形なのだ、、というものです。

これは現実的には光というエネルギーを照射して影響させているので

本来のものとは違うのです。(波動の法則・足立育郎さん著)

つまり

「こうなったからこうだ」という現象をもとにして見極めるということは

可能性として非常に狭い視野でその正体を掴もうとしているとも言えるのです。

その知りたいことの事柄や相手の資質や内容を考慮せず

一方的に

光をあてて!

火をかけて!

水をかけて!

爆発させて!

といったような、相手がどんな影響を受けるのかはまさに二の次です。

、、、、

あー

あの子のことがもっと知りたいな~~と思ってアプローチするけど、

そのやり方が、一方的だったり、相手が傷つくものだったりしたらどんなことになるでしょう。

今の地上の科学は

それに必要な様々な要素たちが意識のある生命体である、、、とは思われていません。

繋がっている領域ではそういったことになりません。

まわりの鉱物や非常に細かい粒子まで、それぞれに意識があり進化の途中であることを理解して

その上で科学というものを構築しています。

それぞれの素材たちと対話しながら了解を得ながら作り上げるので

各能力を最大限に活かすことができ、

性能も耐久性も真に望んだものが出来上がるのです。

残念ながら今の科学の分野ではそういった対話はなされていません。

一部開発者の中には対話したり、その存在からメッセージが送られてきてそれを受け取っている場合がありますが、

それでもその相手が生きている存在であるという認識はかなり薄いわけです。

そのため、想定外のことや例外が必ず起きる現状となっています。

なぜその例外が起きるのか、、、、

なぜ想定外のことが起きるのか、、、

その謎は、、、まあほぼ謎のままです。

それよりも「自分が、、人が理解できる想定内」で現象化することに対してエネルギーをそそぎます。

「この程度なら大丈夫だろう」

「ここまではいけるだろう」

、、、

これはつまり

「例外が起きないように」という進み方になります。

しかし、例外や想定外のことがおきます。

、、、想定外のことが起きているということは、

本来はその想定外の領域まで影響する事例なわけです。

その部分を見ないようにすれば、

その作り出そうとしたものの本来のパワーや意識は引き出されずにいたり、

使い方が最適でないため中途半端なままでストレスがかかったままになるのです。

それがたまらず、溢れ出し、

「想定外」とされる予定にないような設定や動きでまわりや自身に衝撃を与えてしまうのです。

「後々になって、、、」「今になって、、、」というようなことが起きるのです。

そしてその想定外のことを「例外」として目を背けていたことで

それを見つめ、見極め、問題を解決し、さらに進むことの技がみがけていないために

今までの科学という枠では解決できない問題や課題が山積みになってきているのです。

なのに、今もその手法で進もうと必死です。

でもこれは、、

現実的には希望のとおりには進まないで崩壊してしまう手法なのですが、、、

繋がっている領域での科学はもちろん現象も見ますし、検証しますが、

それがなぜ行われているのかがとても大切です。

なぜ、そのような科学的な作用が必要なのか、、、

今の地上の科学は~~

最初のひらめきはとっても素敵な思いがあって、決して「自分だけが」というエゴの意識を台頭させたものではないのです。

「みんなのために、、、」という純粋な思いです。

しかし非常に残念なことに分離のマジックにかかっているので、

「みんなのために!」の心が離れてしまい「自分の家族が~」「自分の国が~」

と、自分の~~自分が~~というようにエゴの意識に変わっていくのです。

そのために最初は本当にみんなのためになる科学技術が、

一部の人のために使われるようになったり、みんなが滅亡するような使われ方になっているのです。

さらに細かく掘り下げてみますと、

この最初は素敵だったと思われる「みんなのため」という思いも引いた目で見てみると~~

「みんな」というのは「人」なのです。

「人」以外の「存在」はほとんどが無視された「みんな」なのです。

ですので、正確には「みんな」ではないということになってしまっています。

言っている内容は「み~~んな」となっているのに心の中では「みんなじゃない」と決めてしまっているのです。

それのおかげで今の科学は自然や様々なものに多大な影響を与え

もとに戻すことができないような未熟な様になっているのです。

言っていることとやっていることが真逆な様です。

しかも、それらの技術を発見、開発してきた人たちの多くは今の科学が

非常に未熟であり、まわりの動きを滞らせて、大きな迷惑をかけている、、、とお認めにならないでしょう。

「今までの科学発展があったから今の便利な生活があるんだろ!」

「もっと感謝してもらっていい!」

という思いがおありでしょう。

たしかにそうです。

その通りです。

感謝すべきことです。

、、、

では、ちょっと考えてみてください。

その今の便利な生活、、、、

「たしかに人にだけ便利ですが、そのまわりの生き物たちには不便極まりない状態ですね、、、」

「一部の人だけがゲットできて、全員には行き渡らないのですね、、、」

「みんなのための科学技術が人を殺すために使われるのですね、、、」

と、ツッコミをいれたとしたら、

「自分はすごいことを成し遂げてきた!」とお思いになっている方ほど

決してそれは自分のせいではないと言うでしょう。

たしかに使っている人の責任も多いにあります。

が、それを世に放った人にも

それが悪用されるということを察知できない先の読めない未熟さがあるのです。

そしてこのことからわかりますように、

この問題のポイントは

科学が問題ではないということです。

それを使う「人」の問題なのです。

使う人間の心の有り様と行いが原因なのです。

でも残念ながら先に申しましたとおり

分離のマジックのおかげで科学と精神は切り離されてしまっているので

使う人間の心は無視されてきたのです。

それが今の様を生み出しています。

例外や問題が起きているのに、それが解決できないから、それが起きないように~~

というような意識で進めば、あとでびっくりするような形でその例外が現れるのは必至です。

繋がっている領域の科学ではこういったことは起こりません。

発見したアイデアや科学技術は人だけを優先させたものではありません。

開発し使う人の思いが本当に「みんなのために」だからです。

人だけではなくまわりの環境や意識、見えるもの、見えないもの関係なく考慮にいれてあるアイデアだからです。

そのアイデアが物質的にも精神的にもどのように影響するのか、、、、

まわりの存在たちにどう関わっていくのか、、、、

非常に大切に、そして慎重に見極められます。

なので、実際

そのようにまわりのみんながハッピーになれるアイデアや技術が生まれるのです。

人の思いと科学は決して切り離して考えられないものなのです。

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女・女性 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

女性としての命を育む道を安心の中で進むことができます。

なぜならそれへのサポートが整っているのはもちろん、自身の役目をはたすために全力を注げる環境も整っているからです。

もちろん、男女の性質に関わらず自身がやり遂げたいことにも心身ともに向き合うことができます。

地上で言われる「男性を支える」、、というようなサポートの仕方ではなく、

ともに支え合うことになります。

理由:

命を育むことは進化の現れであり、自然な姿です。

繋がっている世界ではそれを慎重に、そして全面的にサポートします。

分離している意識の場合、何かを得ようとしたとき「戦う」ことを強いられることがありますが、

本来、女性は「戦う」ことではなく「育む」ことを使命としていますので

いまの女性たちの多くは「育む」ことの真逆の「戦う」ことを強いられて疲れ切っています。

男性が分離を前提として作ったルールの中に強いられ

さらにそこにいる男性たちをうまく持ち上げることが女性として優れていると思われています。

またはそのルール内で戦い、男性や多くの人よりも多くのエネルギーを得たとされる女性がもてはやされます。

そういった人たちが歩んでる道から外れるようだと「素敵ではない」というようにみられます。

繋がっている世界では女性は戦いません。

スポーツなどでともに競い合うことはあったとしても、負けたらから素敵じゃないとはなりません。

競い合うことでともに進化できることを前提としているからです。

どちらも素敵なのです。

トロフィーを奪い合うことがないということです。

男性同様、女性の方々の多くが「分離のマジック」かかり「寂しさ」をうめる生き方になっています。

家族、パートナー、子供、仕事、お金、美容、、、、

分離のマジックを利用している存在はこれらの項目を使い

女性を今の男性陣から離さないようにしています。

女性が真に目覚め、分離する意識から作られたルールを超えたところで

心を育み実践する状態になってしまうと~~

今の男性は、、、、もうおわりです。笑

寂しくて、寂しくて、、、、ぶっ倒れてしまうでしょう。

そうならないために男は必死に女性を自由にしないようにしています。

でももうそれも効かなくなってきてはいますが。

が、もともと愛を育みたくて現れている女性の優しさが今も男性を抱っこしている状態なわけです。

お~よしよし、、、と。

もちろん男性陣は自分が赤ちゃんか子供のままだとは自覚なしですが、、、

そのために今の現状からなかなか脱せないことにもなっています。

女性も真の優しさを起動しきれずに、疲れ、不平不満が溢れてしまっています。

女性の真の優しさとは未熟な男性陣を持ち上げることではなく、

ともに手を取り、その未熟さから進化するための優しさです。

それは今の男性陣からするととっても厳しいことだったりすることなのですが、

女性の真のパワーを発揮していただければ「厳しさ」が「愛」であることを知るでしょう。

何も心配はありません。

男性陣を「分離のマジック」から優しく導くことも可能です。

ともに楽しく、美しくそれを成すことになります。

すみません、今の男性陣は自らの力で進化の道へ進めるほどの度胸がなくなってしまっているのです。。。。。

ほんとうにすみません、、、

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大人 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

身体の成長が落ち着き、感情の不安定な時期を過ぎると大人というような

子供や若者とは違う立場となります。

その立場とは、

その生き方を未来に繋げ、その未来とともに進化し伝えるものです。

あやふやな様を次世代に押し付けるものではありません。

理由:

繋がっていることが前提の場合、真の大人と呼べる存在とは

今の地上でみなされる、だいたい20年くらい経つと大人~~とはなりません。

生き方としてそれを未来につなげる資格があるのか否かです。

もちろん身体的にも、精神的にもです。

今、地上の大人の人たちは身体としては成長しますが、

感情の不安定さを整えることは残念ながらできていません。

成長する段階で感情の起伏はあるのは当たり前なのですが、

その起伏を「よくないこと」とし、押し込めたり、隠したりして

表に出せないままだと、その起伏を整える技も身に付かずに

不安定な感情のままになるのです。

身体もその定まらない意識に連動します。

成長していって、途中から劣化し衰えていくのは

日々の感情や意識、それに伴う自身の動きが大きく影響しています。

今の大人と呼べる方々のほとんどは、

残念ながら

自分は大人だと勘違いしている子供

です。

できないのに、できる!と思い込んでいる様です。

本当の大人は、、、

どんな問題だとしても解決への道を導き出します。

問題をほっておくことはありません。

本当の大人は、、、

決して文句も不平も言いません。

思いもしません。

本当の大人は、、、

自分の仕事を知っています。

なにをすべきか知っています。

迷うことはありません。

本当の大人は、、、

自分とまわりが連動していることを知っています。

まわりも自分も傷つけたりしません。

奪うこともしません。

その必要がないことを知っています。

今、地上の大人と思っている人たちが

「自分はちゃんとしてる!他のだれかがわるいんだ!」、、、と思っているおかげで

様々な問題が発生し、それがそのままになって、、、いや、さらに悪化してきている状況です。

実際にはちゃんとできていないのに、できていると言い、

できなかったとしても、できないのはだれかのせい!ってなっていれば

そうなるのは当たり前です。

それが大人でしょうか?

様々な問題を解決するには、

今の様を謙虚に見つめ、どうしてこうなっているのかを掘り下げる必要があるわけですが

残念ながら多くの大人たちがそれができないサイクル(分離のマジック)の中にいるおかげで

非常に難しくなっています。

掘り下げる時間と空間を制限されているわけです。

お金というエネルギーをコントロールされて。

で、それをコントロールしてるのが、ごく一部の人なわけですね。

何もわからない子供をちやほやし、言いくるめるやり方ですね。

文句言うのも仕方ないよね~~

迷ったって仕方ないよね~~

必要なら取ったって仕方ないよね~~

と。

そういうことをしなくても問題は解決し、自身も進化できるんだよ、、、という道は教えられていないわけです。

ま、そりゃそうですね。自分でもやったことがないわけですから。

、、、

それって

やはり大人、、、とはよべませんよね?

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男・男性 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

男性、男性性、という角度はもちろん存在してますが、

役目は戦うことだったり、力が強いのを誇示したりすることではありません。

その形や、信念からおのずと導き出される役目に真摯に向き合うこととなります。

理由:

男性が持つ形や資質が生かされる役目はあるわけですが、

分離していることが前提の意識や価値観の場合、

男は自身の「力」をかかげて誇示し、自身に無いものはまわりと戦いながら搾取し

どれだけ多くのものを引き寄せているのかが「男」として認められるのだと思われています。

(今はそれへの憧れもかなりあやふやになってきていますが)

しかし

繋がっていることが前提の場合の男として認められることは、

自身の「力」を誇示するのではなく、

自身の役目に真摯に、そして謙虚に向き合い全うするだけです。

それには戦う必要もなければ、何かを搾取する必要もありません。

そもそもすべて揃っているのになんでわざわざ搾取する必要があるのでしょう。

自身でそこに動き、その存在と対話しチョイスしたらいいだけなのです。

必死こいて、引き寄せておく必要がそもそもないのです。

今の地上の男性(ほぼ、、、おそらく90%以上)は、

引き寄せておくことに必死で自身の役目をほとんど実行していません。

言葉ではまともなことは言っています。

字にも書いてます。

でも実行はしていません。

なので、今ある様々な問題を解決できずにいるのです。

「ほしいものは戦いに勝って手にする」という方法では問題がそのままになってしまい、

結局本当にほしいものは得ることができないのです。

なりたい自分にはなれないままでいるのです。

たった今が答えです。

自身の有様が答えです。

表も裏も見つめたらわかりますね。

でも

今、地上の男性たちのほとんどがそれを認めません。

「ふざけるな!おれはまともだ!」

「正しいことをしてる!」

「頑張ってるだろ!」

と自身の真の有様を認めないでしょう。

もし認めたとしても、そこから動き変化することを選択はしません。

その場の佇んでいる状態です。

どーしたら???いいのかな???、、、と。

わからないから~~、、、とりあえず、このままで~~~と。

「俺は悩んでない!」「悩みなんかない!」と言われるひとがいると思いますが、

では、まわりはいかがでしょう、、、、悩みがあるひと、問題を抱えているひとはいるのでは?

そういった方々のことは知らんふりでしょうか?

それが真の男の様でしょうか?

自分だけ幸せだったら、それでよい!

、、、それが真の男が求める生き方なのでしょうか?

分離のマジックにまんまとかかり「ひとのことなんか知らん!」というスタイルになってしまい

結果、まわりのも自分のも問題が解決しない今となっているのです。

そしてその現実から目を背けているわけです。

見るとつらいし、解決できないと思ってしまっていますので。

繋がっている領域では、思いは即実行になるので、

問題は決してそのままにはなりません。

必ず解決する方法を見つけ、それを実行します。

そしてそれは自分ひとりだけですることではなく

みんなの協力があるからこそ、それが実現することも知っています。

みんなで取り組むことなのです。

一人の問題はみんなの問題なのです。

なので、ちゃんとみんなが納得する道がひらけてくるのです。

今の地上の男性はそれをあきらめています。

自分ひとりでなにができる、、、、と。

分離のマジックのおかげでひとりだと思ってしまっています。

なので、寂しさから様々なものを引き寄せておかないと!となります。

友達、恋人、家族、仲間、お金、、、、解決すべき問題はそのままで、、、

これは

もともと繋がっているところから見ると妙な光景です。

もうすべて引き寄せているのに、まだだまだだ、、、と自分のところに寄せようと必死なわけですから、、、

で、引き寄せておいて使わない、使えない、、、

で、どんどん滞って、腐って、、、

あ~~あ~~となる。

分離している男性は引き寄せようとします。

繋がっている男性は自分でそこにいきます。

愛する人を自分から離れないように束縛したりする思いや行為は

「自分とその愛する人が離れている。」という現実を生み出しているのです。

愛する人を自分から離さないようにするためには

そもそも離れてなんかいないことを知らなければならない。。。。

いかがですか?

男性陣~~!

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エネルギー (分離と接続)

(ここでは人類が生きていくために必要なものとしてのエネルギーを指しています)

前提が繋がっている場合:

そのエネルギーにも命があり、意識をもった存在であることと認識されます。

人の暮らしだけを優先したエネルギーの構築や使い方ではなく

すべてのことを考慮し、それぞれの本来の流れ、進化を妨げることのないエネルギーの使い方になります。

理由:

たとえば

電気、電磁、風力、など、そういったものに意識がある、、、なんてことは

おかしい!ありえない!と、今の常識ではなっています。

「物やエネルギーに意識があるなんてあるわけない!」

「だって科学的に証明できてないし!」

となっているわけですが、

そういいますと、、、

そもそも、私たちの命というものがどういったものなのかがわからない状態のはずです。

最先端の科学だとしても「生命体」とよべるものが

どうして動き生き育っているのかは未だわかっていないのです。

現象としては

「心臓がうごいているから」

「脳が反応しているから」

「DNAが、、」

とわかってはいます。

が、なぜ、それがそのような機能を持ち、果たすようになったのかは不明なのです。

人がどのようなエネルギーでどうして動いているのか不明ということです。

つまり、そこの位置から

「エネルギーに意識があるわけない」と決めつけてしまうのは、、、いかがなものでしょ?

繋がっているところから見てみますと

この人の「命」という捉え方や「意識」「意志」という捉え方がまったく変わります。

それは永遠のテーマであり、そのテーマに謙虚に取り組みながら

進化していくことが自分の、、、そして自分たちの使命、そしてやりたいことであると

理屈を超えてわかります。

この理屈を超えて、、、というのは、

まさに自分自身の角度でそれを感じるということです。

分離の世界から、その自分たちの使命!というものをみますと

どうしてもその「使命」に優劣が生まれてしまうのです。

多くの人が求める使命、、、とか、

俺の使命の方が、、、とか、

繋がっている世界では、

「使命」には様々なものがあります。

可能性は無限大です。

なので、誰かと同じじゃないといやだ、、、なんてことにはなりません。

それぞれの使命があり、それをそれぞれがちゃんと果たすことですべてがうまく成り立つのです。

それぞれが、それぞれを放棄して

役目を果たせない状態というのは、本当に色々なところが滞っていく動き、意識なのです。

エネルギーもそうです。

すべてがうまくいくエネルギーの流れがあるのです。

それはそれぞれがちゃんと位置につく必要があります。

しかし

人だけの都合で、ひとつのところに無理に集められたり、

そのエネルギーが真価を発揮できない位置に強制されれば、バランスは崩れます。

つながっている世界ではそれがどんな結果をもたらすのかを知ってます。

ですので、それぞれの意識を尊重し流れを滞らせることのないようにするのです。

そのような心と動きから生み出させる私たちにとって必要なエネルギーは

決して少なすぎたり、増えすぎたりすることもないのです。

そしてその支えてくれているエネルギーたちとともに進化し歩むことが可能なのです。

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エゴ (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

利己的主義など、自分勝手なというよくないイメージで使われますが、

まさにこれは分離している意識だからこそ発生する考え方でもあります。

繋がっていることが前提の場合はエゴはなくなります。

理由:

すべて、、

物理的な側面、精神的な側面、すべての側面に繋がっているので

まわりを無視した利己的な考えはしなくなります。

それをすることは自分が破壊されることをわかっているのでする意味がないのです。

分離している場合は、自身の思いや行動がまわりにどんな影響を与えていくのかがわからないのです。

分離しているおかげでセンサーの機能がすぐになくなってしまうのです。

正確にはなくなっているのではなく、自身でオフにしているのです。

自身のセンサーはオフにしていようが思いや行動が発している振動は

問答無用にまわりに広がります。

そしてまわりはその振動波を受けて影響を受けます。

その振動がよい影響を与えるときもあるかもしれませんが、

残念ながら今の地上では「よい」とは言い切れません、、、、よね。。。

自身の有様がまわりに対してどんな影響を与えているのかが不明なので

それを無視した思いや行動を発し続けてしまうのです。

それがまわりからすると「なんだ!自分勝手な!」と思うわけです。

そしてさらに注目するところは

その「自分勝手な!」と思っている側もエゴであるということです。

繋がっている場合は

たとえ勝手なことをしている存在があったとしても、

他がやっていることであって、それによって自分が迷惑している、、、というような

否定的な側面ではそれを受け止めません。

そういった存在に対しては

「過去の自分」と捉えるのです。

繋がっている場合、

それは実際に過去の自身の姿なのです。

自身が歩んできた道もすべてとつながっているので

自身もその道を歩んできたとわかるのです。

分離してエゴを台頭してきた時期があることがわかるのです。

そしてその分離の世界からどう変化し今に至っているのかもわかります。

つまりエゴの意識(集合意識)から起こる様々な問題を

どう解決したらよいのかも知っています。

その鍵が

「つながり」であることがわかります。

そしてその「つながり」への移動に必要なものがあります。

「自由」です。

エゴの世界で許されている自由ではありません。

またはそれに反発する自由でもありません。

制限のない真の自由です。

それは「つながり」を前提にしなければ見えてきません。

それに向けて実際に進む事でエゴは少なくなっていき

いずれ自分の根元にエゴはなくなります。

そしてそこには新しい、、、

もともとあった真の自身の心、思いが復活します。

それは自分勝手なことではなく

自分もまわりもハッピーになる心と行いになります。

それは分離の世界からは決してありえない事柄かもしれませんし、

はたまた、今までと同じ行動かもしれませんが、その心がまるで違うはずです。

「自分はひとりで何者とも接続していない、、、」となって、なにかと触れ合うのと、

すべてが自分の命とつながっていると認識している触れ合い方はまるで違ってくるのです。

自分だけが都合のよい触れ合いではなく、

その相手やそのまわりにも心地のよい触れ合いと対話になります。

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運 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

運は「自分ではどうしようもない巡り合わせ」ではなく

「自分で好きなようにできる巡り合わせ」となり、

あやふやなものではなくなります。

なので「運まかせ」というような言葉はなくなります。

理由:

運を天にまかせる

運がつきる

運試し

など

「運」、、、

印象としては、、、

何か変化のきっかけになる巡り合わせのこととして使っていると思います。 

このことは繋がっている世界でも同じように捉えることができます。

この場合はその巡り合わせ自体を知っていることになります。

すべてが分離していることが前提の場合

何かとの巡り合わせは偶然、たまたま、といった捉え方になります。

でも繋がっていることが前提の場合は

まわりの何かとの巡り合わせはすべて必然。と捉えられます。

分離している場合は、

突然、誰かが自分にぶつかってきた、、、となりますが、

それはまさに分離しているという意識が自分のまわりで何が起こっているのかを不明にしているおかげです。

たった今なにが起きているのか、そしてそれがこれからどうなるのか、、、

それを察知できなくなってしまうのです。

なので、予想外のことが起きるわけです。

たまたま、、、

偶然に、、、

突然!、、、

というようなことが降りかかってくる。

しかし繋がっている場合はこういったことは一切起きません。

繋がっているので、ちゃんとまわりで何が起きているのかを知り、

さらにそこからどうしたら良いのかもわかります。

良いのか、、、

何に対して良いのか。

それはまさにすべてに対してです。

繋がっているので、すべてです。

分離している意識の場合は、まさに自分だけです。

それか自分の決めた近しい存在だけです。

分離しているので、自分(または近しい存在)がよければそれで大丈夫という考え方と行動になります。

その結果、自分のところに害が来なければ良し。となるわけです。

しかし、繋がっていることが前提の場合

自分のところに来なければ、、、は成立しません。

自分のところにもうきてる、、、

自分のところにあった、、、

自分が生み出してた、、、

となるのです。

「害は来なければ良し」ではなく「そもそも害を生まない」という考え方や行動になってくるのです。

すべては自分と繋がっているので~

例えば、「害」というものが発生したとしたら、それはまさに自分自身から生み出されたとわかるのです。

だって繋がっているので。

その害が自分自身にも、まわりにも良くない状況を生み出すのであれば、それをそもそも作り出さなければいいのです。

そういった選択、生き方をしたらいいだけのです。

そして

すべてが、すべてと、繋がっているということは

自分次第でどこにでも行けるということです。

その「つながり」が「巡り合い」なのです。

そのすでにある今までのすべての巡り合いを有効にして自由自在に行き来することが可能なのです。

すべては自分次第なのです。

運はつきることはありません。

運はまかせるものでもありません。

運をためす、、、、

うん、チャレンジするのはいいかもね。

運はもうすでに十分にあり、満たされています。

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海 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

すべての海洋生物のために解放される。

漁業はなくなります。

お魚さんを食べることもなくなります。

速さ、動き、エネルギーはもっと大きなものになります。

それがまたまわりのすべての生命体に大きな恩恵を与えてくれます。

理由:

海、そして海洋生物たちにも意識があり、地上のそれらと同じで

地球を構成する大切な要素であり、さらに進化しようとしている存在だからです。

海とは「水」のことで、本来意識を持った存在です。

ただ今の地上の海やお水はその本来の役目を果たせずにいます。

分離の意識から生み出されるシステムによって、海、水の動きが相当滞っているからです。

そのシステムは自然の本来の営みを人間の都合によって変化させるものです。

すると海や水は本来「恵み」でしかないのですが、

逆の形で「災害のもと」としても受け止められてしまうのです。

繋がっている世界での海や水はそのままになっています。

もちろん人やテクノロジーがそこに介入する場合もあります。

しかし、その場合も海の営みが崩れることのない方法を厳選します。

決して人だけを優先した方法はとりません。

海を壊すことは結果「自分たちが壊れる」ことを知っているからです。

繋がっている領域で食料に困ることはありません。

作りすぎて捨ててしまう、少なすぎて足りなくなるようなシステムは導き出されません。

お肉やお魚を食べなくても植物さんの好意だけで我々は生きていけます。

もちろんそれにはそのお野菜さんたちも本来のパワーを取り戻す必要がありますが。

海は地球の血液であり、心臓であり、羊水であります。

それらに人の介入が少なければ少ないほど本来の流れのままでいられます。

そうなれば人の中の血液の病気の問題もなくなります。

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宇宙 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

宇宙はもっと身近になり、もっと広いことを体感することになります。

理由:

いまの地球の科学でも宇宙は十分に広く、そして謎で、神秘な存在です。

すべてを明らかにできていません。

物質的、時間などを捉えて宇宙としています。

繋がっている意識から宇宙を捉えるということは

宇宙を意識する自分自身がその宇宙を構成している一部であると確認することと同じです。

物質的な側面もちゃんと認識していますが、

それらにも意識があることになっているので、

宇宙を構成しているもの自体に意識があり、宇宙はそれで詰まっているとなるわけです。

宇宙という時空間の中で様々な存在たちが

進化し、そしてひとつへ向かって進んでいることを理屈を超えて理解することになります。

宇宙とはこの地球の外にあるのではなく、

たったいまの自身の中、心の中に存在し、営みを続けているすべてなのです。

そのすべての有様なのです。

すべてがこの宇宙が存在しているある法則に基づいて今あるわけです。

この身体も、この地球も、そしてそれを決定しているこの心も。

繋がっていることが前提として生命活動している

私たちのようなボディを持った存在はこの宇宙にたくさんいて

それらの存在たちは、その宇宙の法則に基づいたテクノロジーを上手に使い

宇宙全体がスムースに運行できるよう使命を果たし、さらに自由に選択しながら探求している。

繋がることを前提とした生き方に変化すると

彼らとその道を気ままに歩むことになる。

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嘘 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

嘘は存在しません。

理由:

嘘とは、分離している意識の中だけで起こることです。

繋がっている意識の中で嘘はつく意味がないのです。

その必要がないのです。

では

なぜ嘘をつくのか。

嘘が存在するのか。

それは単純に自分のいまの立場を崩したくないから。

そうやって構築した立場をなんとか維持しようとするから。

いまの自分の立場

これが

分離を前提とした場合と繋がっていることが前提の場合だと

まったく別ものになってきます。

地上での常識では「立場」というのは崩れてしまうもの、、と捉えられています。

自分が日々生命活動する中で「こうありたい!」という自分とは逆の行いを未熟さゆえにしてしまい、

さらにそれが他人に明らかになってしまいそうになったとき

嘘をつきます。

他人にその未熟さが明らかになって、

自分の立場が崩れてしまうと、いまの自分の生活スタイルが大きく変化し下降してしまう、、、、

そうしたら、まわりのみんなから、、、社会から排除されてしまう、、、

生きていけない、、、、

と思い、それを回避しようと

「自分はミスしていません」「自分はそれをやっていません」と取り繕うわけです。

しかし、繋がっていることが前提の場合「立場」というものは崩れるものではなくなります。

あるがままの立場

となるだけです。

つまり未熟であれば、それをそのまま明らかにして生きる。

「こうありたい!」という自分自身とは違う様になったとしても

そのせいで仲間外れにされることはありません。

ありえません。

繋がっているわけですから、何かを排除しようとすること自体できません。

ありたい姿に向かっている途中に、それとは逆の様になったりするのは当たり前のことです。

その様だけを取り上げてその人を判断し差別することは、繋がっている世界では決してありません。

それはまさに自身を否定し見失うことと同じだからです。

なので自身がそのような状態だったり、まわりの誰かが逆の様になっていたとしても

それを否定したり、拒絶したりはしません。

ありたい姿に向かっている途中なだけので、より手厚くサポートしたらいいのです。

分離している世界では「ありたい姿」もかなり限定されてしまっています。

なので、じつは多くの人が自身の「真のありたい姿」ではなく、

分離の世界、、、世間で許されている「限定されたあるべき姿」に強制的に向かわされています。

自分自身では真に向かいたいと思っていない道で

さらに嘘までついているのです。

それは、、もう大変です、、、いろいろ壊れてきて当たり前ですね。

繋がっていることが前提の場合「ありたい姿」は限定されません。

「あるべき姿」は自分で決めます。

「そんな自由に決められちゃ、めちゃくちゃになってしまう!」と思われるかもしれませんが、

繋がっている場合、そういったことにはならなのです。

すべてが繋がっていることを知っている上での自身の「ありたい姿」というのは

まわりがめちゃくちゃになるような姿ではないのです。

その「ありたい姿」がみんなにとっても「なってもらえたらうれしい!」という姿なのです。

それに向かっている道の途中で起こる逆の作用は

変化を体感、体験する中で必要なことであって、いちいち特別に捉え怖がることではないのです。

そうやって自身のあるがままにそれを体験し、さらにまわりの真の愛のサポート体制があることで

本人にとって真のありたい姿を見失うことなく安心して向かえるのです。

それに

シンプルにすべてが繋がっているので、その人の思い、心もすべてまわりのみんなに伝わっているわけです。

繋がっている世界ではテレパシーは当たり前の対話の手法です。

その手法の対話で嘘は通用しません。

嘘という言葉もありません。

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命 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

命は絶えることはありません。

どのように命を育むかは自由です。

理由:

すべては繋がっているので、自分自身が「命あるもの」とすれば

そのまわりのすべて、繋がっているすべてもその「命」と繋がっているのです。

命がなくなることはありえません。

しかし

いま、人類のほとんどが「命は尽きるもの」と受け止めています。

前提が分離している場合、

いまある、このボディがなくなることで「命は尽きる」となります。

そのあとは不明、、、とも捉えられています。

繋がっている領域では、たとえこのボディがなくなったとしても

それで「命が尽きる」とはならず、その人にとっては「大変革」となるのです。

そのボディがなくなるというセレモニーも

老いていって機能を果たせなくなったから、、、というわけではありません。

繋がっている世界では命が絶えることがないと捉えられているのと同じで

このボディ自身も「老いて劣化し絶える」ということがないのです。

自身がボディを離れる時があるとしたらそれは役目が変わるときです。

もちろんそれは自身の選択によってもたらされます。

自身の意思に反して強制的にボディを離れることはありえません。

そのボディでの役目が果たせたとき

自然と別のステージに行くことになるのです。

ではなぜ、繋がっていることが前提だとボディが衰えないのか。

それは

まず意識です。

死なないという意識です。

そしてボディをよりよく保ち、さらに進化するための食事と環境です。

これらが有効になっているとボディは劣化することはないのです。

そもそも人体はそのように設定されているそうです。

「死」というのは、いまの地上でも次に進むためのステップなわけですが、

それまでの生き方がどうしても「死」を避けてきたので、

「死」というシステム自体がスムースに働かない状態でもあります。

これのおかげで4次元、いわゆる霊界という領域でも不具合が生じて

それを解消するために、、、

まあ、いまそちら(霊界)からの協力も得てこの3次元もろとも大きく変化させようとしているわけです。

いずれにしても

「死」を避ける、、、

これも「分離した意識」から生み出されていることです。

本来「死」は避けるものではない、、、としたら、「死」への向き合い方は変わるわけです。

さらに

そもそも死なないとしたら、、、、

そしてそのように「死」への向き合い方が変わるということは

自身の歩み方、そして自身の「命」の捉え方も変わるということです。

すると自身の命だけでなく

他の命を感じることにもなるのです。

繋がっている意識によって

永遠の命という現象さえも繋げていくことが可能なのです。

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意識 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

意識というものは、非常に重要な要素と捉えられます。

そしてすべての存在にそれぞれ意識(と意志)があると認識されています。

ありとあらゆる分野や領域に影響することも理解しています。

理由:

分離している意識ではなく、

繋がっている意識なので、自分の意識もすべてとつながっています。

見えるものも、見えないものも。

触れているものも、触れていないものも。

感じているものも、感じていないものも。

すべてに自分の意識が浸透している、、、と認識すると

その自分の意識だけはなく、まわりすべての存在にそれぞれ意識があるとわかります。

そのそれぞれの意識の集合がすべてを決定し創造し形つくられるので、

意識に対してとても注意深く、洞察し、動かしていきます。

とても細かいところまで自身の意識の在り方に注目します。

瞬間瞬間にどんな意識で、どう動きと、どうなるのか、、、

それの結果がすべてに影響し、また返ってくることを知っているので

とても注意深くそれを対象に向けます。

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家 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

人の住むお家はほとんどが地下になると思わます。

理由:

地上は他の生命体、自然(鉱物、水、風、光、エネルギー)が自由に活動、進化するための場です。

もちろん人も地上にいることはできるますが、

住まないといけない理由はありません。

なぜ、地下か、、、

地上の自然の活動を滞らせたり、妨害したりしてないで人は居住のスペースを確保できないからです。

地上で人が自身のボディを長時間保つためにはまわりの環境をかなり変化させないとだめなのです。

その変化が自然の動きを大きく妨げています。

一方、地下には大きな洞窟がたっくさんあるそうです。

その空間をうまく使うことで自然さんの動きへの影響を最小限にできるのです。

地下では、地殻の変動や熱に対応できないのでは?と思われますが、

人類が地下で住むことを選択している時点では、地球の営みによって生み出される

様々な動きを的確に察知できるようになっているでしょう。

人類以外の存在たちも自分の家族であると認識しているところでの

生み出される科学技術やアイデアは、本当にそれらのためのものとなるのです。

多少の動きには決して崩れることのない強度を持っているにも拘わらず柔軟性もある鉱物。

地殻の変動を正確に察知し、さらには最適なエネルギーの流れのコースを導き出したり。

いずれにしてもその変動がほとんど起こらず、しかも大きな洞窟。

そんな場所はたくさんあるそうです。

ただいまの技術ではそれを見つけることができないだけです。

居住空間としては

円形のものが主流になると思われます。

コーナーがないものになります。

自然界の中に90度のコーナーはありません。

あったとしてもそれは変化をしてコーナーでなくなっていきます。

コーナーがないことでエネルギーがスムースに流れて

常にクリアな状態でいられるのです。

使われる素材もまわりの環境バランスを崩さないものを使います。

すでに地下を選択している存在たちは

地上の私たちに向けてメッセージをくれています。

「あなた方もお家の中で暮らしていますよね?屋根の上で暮らしてはいませんよね?

私たちも地球の屋根(地上)ではなく空洞になっている地球の中で暮らしています。」

と。


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あそび (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

あそびを通して様々なことを体験します。

それに限度はありません。

自分の遊びの延長が後の自身の役割や仕事に繋がってくるのです。

ストレスを解消するための遊びはなくなります。

ストレスがないので。

日々、何かを我慢して我慢して!それを解放するための遊び、娯楽ではなくなります。

日々、まわりとの関わりの大切さや自分が何者なのかを知る遊びがメインとなります。

遊びを通して自身の真価を発揮し、まわりとの関係性をよりよいものにする技をみがき、

自分だけが楽しいのではなく、まわりすべてが楽しめる状態を作り出す技もみがけます。

まあ、いわゆる天国を作り出すということです。

理由:

分離している世界でのあそびは、先に書かせてもらったように

ストレスを解消するためのあそびがほとんどです。

(でも残念ながら解消されていないのですが)

しかもそのあそびの仕方もかなり制限、制約があります。

それをやぶると犯罪者とよばれます。

ではなぜ、あそびが制限されるのでしょう。

それは単純に、危ないからですね。

あそびに線をひいてそれ以上先に行かないように!

だって危ないでしょ!

と、なっているからですね。

ではそもそも

なんで「危ない」のでしょう?

それは「つねに危険である」が前提になっているからです。

もちろん、そう教えられてきたおかげもあります。

それに普通にまわりを見たらわかります。

とても安全!とは言える状況ではありません。

自由に遊ぶとその先が危険!!

車があぶない!

高いからあぶない!

暗いからあぶない!

変人かもしれないからあぶない!

あぶないからあぶない!!

もうきりがありません。

(、、、、分離の意識のなせるわざです、、、、)

車は歩行者優先ではなく歩行者殺しとと言えるスピードでかっ飛ばしています。

「ここから先、危険!」と札を出しておけばあとはそのひとの責任になってしまう危険なままの工事現場。

暗く誰も見ていなければ何をされるかわからない治安の悪さが当たり前の夜。

他人は信用できないからあぶない!と決意するが、結局その自分自身を信じることのできない矛盾の様。

今、地上ではこのような感じで「危険」が生み出されています。

分離している意識から生み出される世界では「安全」「安心」という概念や有様も分離します。

安心を求めて続けていますが、残念ながら「安心」が形にならない世界なのです。

そして

その「つねに危険」を少しでも回避するために様々な制限を設けているわけです。

子供達の「あそび」とはそんな制限に関係なく心のままに動くことですから

「危険を回避しないと!」と思っている側からしたら

「制限を無視するのはだめよ!あぶないよ!」となります。

「自由は危険でしょ!」と

子供達には伝えます。

では

どのようにしてその危険な世界を作り出すのかさらに掘り下げてみます。

まず何に対して危険と感じるのでしょう?

そのために危険とされる世界の根元に目を向けてみましょう~

これの答えは

簡単ですねっ

「命があぶない」ということです。

命(身体)に関わってくるので、「危険な自由」を封じて、身体の安全を確保しようとするわけです。

つまりここが分離の世界を構築してる根元あたりの部分でもありますが、

この「命」は「肉体」が動かなくなったら終わり!という意識です。

これがもととなって、遊びだけではなく様々なものが制限されています。

肉体が傷つかないように!滅びないように!と色々バリケードを作ります。

この肉体が傷つかないように!

という意識自体はなにも問題ありません。

だって、事実その方がよいわけです。

傷ついて弱っている体では自由に遊べませんからね。

しかし、分離の意識から

「この身体がなくなったら終わりだ!」って決めつけているおかげで

自由に~!というよりも、できるだけあぶなくないように~~という意識が台頭するわけです。

「危険」への、強く限定させた意識が今のこの世界を作り出しているわけです。

しかし、これはえらく矛盾した世界なのです。

さきにも書きましたが、

例えば

あぶなくないように~~と本当にそれを優先するのであれば

世の中の車やスピードが出てあぶないものは一切なくせばよいわけです。

なくさなくてもすんごいゆっくりにするとか。

絶対に接触しないようなシステムにするとか。

、、、、、、

でも~~

まったくなくならない!スレスレをビュンビュン飛ばしてる!

危険ではなく、安全に!

と言うのであれば、そういった危険がつきまとうものを改めればよいのですが

それを改めることができない、、、、さま。

子供達を安全に遊ばせたいなら、もっと広~い公園などを増やせばいいのですが、

道路ばかり広くしてます。

なんとか小さな公園があっても「あれしちゃだめ」「これしちゃだめ」と。

なんだ?ここは?

ただ、ぼーっとしてないとだめな場所???

公園の意味知ってるの?

、、、と言わざるを得ないわけです。

(結果誰も遊ばなくなり、使わないなら無くしてもいいじゃない、、、とかなるわけです)

こういった意味のわからない矛盾のさまが起きてくるのも分離の世界の特徴なわけです。

さらに掘り下げちゃいますが、

では

危険でスピードの出るものをさらに危険に扱うのは、なぜか?

これもさきに書きました「ストレスを解消するため」です。

スピードを出して味わったことのない感覚を得るためや、それをまわりにアピールしたりします。

その感覚を得ることで今まで自由を封印していたものが解放された感じになるのです。

それが少しでも癒しになっていると思うわけです。

危ないとわかっていてもそれをしてしまうのは

やりたいことをできないストレスが溜まりすぎて溢れてしまっていて

さらにそれに気づいていない様です。

何かその危険をクリアーすることが自分のためになるんだ!と思い込んでいるのです。

まあ、それはたしかにそうなのですが、

「分離をもとにした意識」でそれに対して向き合うのと、

「すべて繋がっていることをもととした意識」で「危険をクリアー」と向き合うのでは

行動が大きく変わってくるのです。

むちゃをするのか。。。

身の程知って慌てずチャレンジするのか。。。

そしてその動きはもちろんまわりにも大きく影響します。

まわりをびっくりさせて疎まれるのか。

まわりに賞賛されて歓迎されるのか。

分離の世界にいると、まわりに与える影響を見失う様は当たり前になります。

「危険だ」ということで自由を封印されているので、それのストレスが溜まります。

それを日々なんとか解消するための策をこうじます。

でも、その策の自由度も制限されているので、真の解消にはならない。

そうやって日々が過ぎていく、、ように設定されているシステム。

で、解消できないものがさらに溜まり、、、、

爆発。

まわりは大混乱。

でもまたすぐにたまってきて、、、

でも今度はそれを、ぐうううっと封じ込めてないつもりだったけど、、、

やはり溜め込んでいて、、、我慢できずに、大噴火。

まさに自分もまわりも地獄絵図。

繋がっている世界では、まわりに与える影響を無視することはありえないので

それを考量したものになります。

例えば

交通の手段と遊びの場が交差して互いが危ない環境などそういった状況は生み出しません。

ストレスを解放するための遊びではないので、まわりに対して害になってしまうような遊びは生み出されません。

繋がっていることが前提ですと

交通も自由な遊びもスムースに行える環境を作り出すことが可能なのです。

子供の頃から、真の遊び、、、自由な遊びを体験していけば

自由に自身を表現し、楽しみ、進化する技を身につけることができますので

結果、その遊びが可能な環境を生み出す能力も身につくのです。

そうなると、、、

自由は危険ではないのです。

自由を封じることの方が危険なのです。

遊びは危ないものではないのです。

遊びを封じる方が未来が危うくなるのです。

すべてがスムースに、そして自由に活動できる場、、、、

それは

まあ

天国ですよね。

そこで楽しむことが真の遊びです。

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アセンション(次元上昇)  (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

アセンションは珍しいものではなく、

生活(生命活動)の中でも頻繁に起こりえるものです。

今まで気づかずにいたことに気づき、

それを活かし進むこと、

それと

現在の役目を果たし、新たな役目に移行することを

アセンション(次元上昇)と言います。

繋がっている領域からするとそれは修行や苦労をしなくても

楽しく優しく穏やかにできることです。

そしてその行動は自身の周波数を細かく精妙なものにし

さらに可能性が広がることとなります。

つまりさらなるアセンションがあるとも言えます。

進化には様々な段階があります。

よくスピチュアル系の情報にある「今が3次元で、死後が4次元で~~」など

数字が使われますが、そのように大きく区切られる次元の表現もあります。

今、地球(地上)はまさに3次元から4次元を超えて5次元に向かおうとしているようです。

5次元はよく「神の領域」とか言われることもありますが、

まあ、そうでしょう。

神様のごとく選択する領域です。

みんなが神様ですね。笑

もちろんこのボディをともなってです。

理由:

分離している領域から「アセンション」というものを見ますと

とても特別なものとして捉えられます。

知らない人は、、、

次元?

上昇?

意識の世界?

なにそれ?

知っている人も、、、

アセンションしなければ~~!

はやく意識をひとつにしなければ~~!

と受け取ったりしています。

分離している意識からこの世界を見ると、たった今の「この場しかない」ということになります。

なので、この場から上昇?

他の次元?どして?

となってくるわけです。

今の日本人の価値観にもある「死後の世界」。

他国でも「魂」「輪廻」などこの体とは別の領域はあるといった価値観はあります。

多くの人がその世界のことを耳では聞いていると思いますが、

「死後の世界はある!」とは心から言い切れない状態です。

「たぶん、あるんじゃないかしら、、、」となって先が見えなく、

死後は「何もなくて自分もなくなるんだー」といったように

「怖い領域」としても受け止められているわけです。

でも繋がっている領域からすると「自分の命はこれでおしまい!」ってことにはなり得ないのです。

地上で「死」という表現されているものは

「大きな変化」であって、忌むべきものではありません。

まさにアセンションです。

役目を変え、別の次元に移行し、別の立場、形態となる。

なので、感謝のもとでたたえられ、送り、迎えられる素晴らしいイベントなのです。

、、、、しかし

残念ながら、今の地上での「死」は「素敵なアセンション~」とは

言い切れない部分も多々ありますが、、、、

たとえば、自分で自覚して体を去っているわけではないですからね。

ほとんどが。(潜在的には受け入れてはいます)

自分の役目を自分で決め、極め、進む。

それ自体がアセンションです。

しかし

分離している世界ではそれを実行すると迷惑として受け取られ途中で止められ

他の道を強制され、分離している領域内での行動を強いられます。

なので、アセンションはえらく特別なことと捉えれてしまうのです。

そして分離のマジックにより「だったらそんなものしなくていい」ともなってくるのです。

 

繋がっている世界ですと、それを実行することは自身だけでなく

まわり全体のためになることなので、みんなから賞賛されます。

なので、アセンションはスペシャルではありますが、

みんなが自由に手にし育める出来事となります。

5次元はボディを持ちながら、神の行いを実行、またはそれに向かって確実に進む領域のことです。

3、4次元、6次元と関係を持ちながら進化の道を歩みます。

ですが、この数字にこだわる必要はまったくありません。

大切なのは

そのとき、その瞬間の心と行いです。

それがみ~んな(宇宙全体)のためになるとき

自然とアセンションは起こるのです。

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悪魔 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

悪魔、悪、闇の組織。

これらの存在は役割を変えて、まったく別のものとなります。

繋がっている意識から見ると彼らは「過去の自分である」と認識されます。

理由:

悪魔や怨霊、闇のなんちゃら、など、、、そういった存在というのは

分離の意識が生み出す「寂しさ、不安」から発生しているか、

その「寂しさ、不安」を利用している者のことです。

彼らは「分離している人の意識」の中でだけ有効です。

彼らはそこの領域でだけ存在できるので

そこをなんとか維持、拡大しようと考えているわけです。

まあその彼ら自身も分離のマジックにかかり、その領域にとらわれているので

不安や寂しさを共有し合う形になるのですが、

そもそもなぜ、悪魔とか、そういったものが「悪」や「闇」として認識されるのか。。。

答えは単純ですね。

彼らが起こす「愛」の反対の思いや行動は基本「隠れて」「隠して」やることだからです。

その有様をそうではないかのように装ってやること、、、、

陰に隠れて、、、

都合のよいところだけ、、、

闇にしまっておかないと、、、

それが闇を連想させます。

びっくりさせてやれ!

とかなどはまさにその隠れてやることですね。

まあ、、こういった意識や行為は分離の世界では有効なのですが、

繋がっている世界からすると、、、、

あの~~

隠れられてませんよーー

あの~~

闇に隠したおつもりでしょうけど、全部見えちゃってますよーー

となる。

繋がっている世界では隠したり、隠れたり、

闇にまぎれないと~~となる必要がまったくない。

そんなことをするよりも真の自身を明らかにし、

みんなに認識してもらう方が、真のサポートを受けることができ

自分のやりたいことをスムースに実現できると知っている世界だからです。

悪魔や闇の組織のやり方としては「寂しさ、不安、恐怖」をクリアーするための様々なものが作られ、利用されます。

お金、パートナー、家族、嗜好事、宗教、、、、

それらを使い「なくなったら困るよ~~」と、人々を「恐怖」でコントロールします。

「なくならないようにしなさ~~い」と目を背けさせておきます。

多くの人はその道筋通りにお金や家族を得ますが、

それを維持するには真の自分の有様は表現する(自由)のはNGとなり、

その部分は封印し、隠されます。

すると、しだいに自分自身が何者なのか、何者になりたかったのかを見失います。

そして

それをなんとか!見出すために!

でも、、、

それが叶わないなら別の欲を満たさせろ!と、奪い合いや傷つけ合いが繰り返されます。

その様、その策が「悪」というものです。

その悪がさらに寂しさを募らせると、、、

悪魔と化すわけです。

すべて壊してしまえ!

みんな俺に従え!

と。

そんな思いや集団が出てくると、

悪魔や闇の組織にとって「やったー」となるわけです。

しかし、分離ではなく、繋がりが前提の世界では

寂しさをクリアーにするための策がいらないので、

自分がなりたいものになるためにただ進めばよいだけになります。

シンプル。

わざわざ隠さないといけない策など立てなくてよいのです。

力を進化に使えるのです。

たしかに今も、悪魔や怨霊といわれる意識がある領域はあります。

分離している今の地上の様があるように。

しかし、そこにいなくてはいけないわけではありません。

自由に出ることも可能です。

それは

「繋がっていることが前提」での選択をするれば出たことになります。

そして

その領域は悪魔や怨霊はやってこれません。

まあ、

強引に来る!って言っても無理です。

実際入れたとしたら、その時は悪魔ではなくなっています。笑

天使に変わっているでしょう。

宇宙の法則。

周波数とはそういうものです。

まったく違う振動波のものは直接干渉し合わないのです。

悪魔の領域。

分離の世界をたたき消す必要はまったくありません。。。

それこそまさに悪魔の所行~!

自身がその領域を出ればよいだけです。

そして

ダークサイド担当のわたくしからの情報としては

地球にいる悪魔さんや魑魅魍魎さんたちは今、自身を変化させようとしています。

今まで人類をだまし、隠れてやってきましたが

もうそれは飽き飽き!

それに疲れるし!

彼らは今新しい自身のために決断し動き出してます。

そのためのサポート体制まで整っています。

そして彼らの真の変化に必要な存在が我々人類です。

だましだまされる関係ではなくなるのです。

どうしてもだましたい!っていう闇の存在は

私たちと干渉しないところに移動することになります。

もはや付いてくるのは難しいでしょう。

なので彼らは彼ら自身で決めた場所に移動するでしょう。

そこで存分にそれを体験するでしょう。

この地球はもうその周波数を受け付けられないほど精妙になってきているのです。

今、「テロ」「戦争」という現象が噴出しているのも

彼らの自身の危うさの叫びなのです。

繋がっている領域からそのことを見ると

地球はひとつの生命体。

それぞれの個が役割をまっとうし進化し続ける光の星。

そしてその光をまわりにある分離している星、存在へ届ける者へと進化しようとしているようにみえます。

悪魔だった存在が天使となって

真の変化、進化を伝える旅に出ることになります。

そして振り返れば、、、

すべての存在たちが支えてくれていたことを知り、

またそれらの中に自分自身(分離していた頃の自分、変化していった自分)もいることもわかります。

悪魔だったときの自分も。

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愛 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

愛に制限はなくなります。

すべてのこと、すべての存在が愛で成り立っていることがわかます。

これは愛だけど、あれは愛じゃない、、、

愛してない、、、愛がさめた、、、

なんてこともありえません。

理由:

「繋がっていることが前提」ということは、物理的なことのつながりだけではありません。

見えていないもの。

感じていないもの。

過去、未来。

そして

概念、思い、心。

これらもすべて繋がっている、繋がり合っているということです。

それは

あなたが心に何かを浮かべるとその心の中身は振動となってすべてに伝わるということも言えるのです。

誰かを愛する気持ち、何かへの愛しい思いはすべて伝わるのです。

そしてもちろん、その反対の思いもみんな伝わっています。

愛の反対の思い、、、、

寂しさ、悲しさ、憎しみ、恨み、妬み、怒り、不安、不信、恐怖、、、

今、地上ではこの意識がかなり強調させられていますが、、、

そもそも

愛とは反対の思い、、、、これはなぜ、起こるのでしょうか、、、?

実はこの思いは「繋がり」ではなく「分離している」ことが前提となった世界だけで起こることなのです。

自分と愛する存在が分離している、、、

あなたとわたしは離れている、、、

と思い込み、作用としては「求める」意識が台頭してきます。

さらにその求め続ける思いに気づいていないことから、常に寂しさが発生し、

それが積み重なると憎しみや怒りにもなっていきます。

そしてそれを解消するための様々な対策がとられていますが

現実には解消しきれないので、抑えられない寂しさをどうしたらいいのか閉口しています。

しかし

「繋がっていること」が前提の場合は、まったく別のことがおきます。

まず、繋がっていますので、

そもそも「離れているから寂しい!」という意識が起きません。

結果、寂しさが積もり怒って相手を傷つけることもなくなります。

繋がっている世界ではその相手も「自分自身」となります。

自分と繋がっている相手、、、「相手」というように捉えていますが、

自分と繋がっている自分の一部、、、というように捉えることもできるのです。

そしてそれをさらにぐい~~~っと、ひいて見てみますと~

その「自分」が存在しているまわりに様々な存在たちがいる。

それらは自身であると同時に、自身を助け支えてくれているそれぞれ役割を持ったありがたい存在なのだとわかります。

寂しい位置から感じるものではないからです。

自分がひとりではなく、すべてと繋がり支え、支えられている。

そしてそれらの存在に対する感謝の心と行いが

「愛」です。

あなたがその心と行いを実行すると、、、

その振動波はすべてに行き渡ります。

そしてそれはまたあなたにかえってきます。

、、では、、、

かえってくるのは、、、なぜか。

それは

そもそも私たちみんな、、、

すべての存在がすでに「愛の波」の中にあるからなのです。

だから伝えることができ、受け取ることもできるのです。

愛の波??

なんじゃそりゃ~と言われるかもしれませんが、、、

たとえば、現代科学でも今確認できる物質(目に見えるものも見えないものも)のすべては同じものから

できている(中性子や陽子)とわかっているのです。

さらに、宇宙にはクォーク、素粒子というものがあって

それが宇宙に充満している、、、ってことはそれは私たちもそれの中にいる。。。

中にいるだけではなく、私たちの中もそれで埋め尽くされている。。。

地球という星のことだけを考えてみたとしても、

この地球にあるものすべて同じものから創られているのです。

、、、、なぜ、それらが融合し、それぞれ役目を変え、今の様になっているのか現代の科学ではなぞのままですが~~、、、、

現象としては捉えているわけです。

みんな同じものでできてるだ~、、、ってことを。

といったわけで、

科学的にも証明されているのです、

繋がっているということは。

そうやって共通のものを共有しているからこそ、それらを有効にして「伝える」「受け取る」ことができるのです。

さらにすべてに対しての「愛」や「感謝」の振動波は、実際にそのすべてに即座に伝わります。

そしてそのすべての存在たちからの返事として「愛と感謝」の波が帰ってくるのです。

ではその共有しているものが、なぜ「愛」と言えるのでしょう?

「愛」ではなく逆に「悪で埋め尽くされているかも!」と、なぜ言えないのでしょう?

「すべてが愛」ならば、なぜ「悪」は存在しているのでしょう?

その答えは「分離」にあります。

「悪」というのは「分離している」ことが前提の世界で創造される価値観だからです。

上記に「愛」の反対の振動波も伝わる、、、とありますが、

正確には、「悪」のそのままでは伝わらないなのです。

分離したエッセンス「悪・寂しさ・悲しさ」などは、繋がりを前提とした世界では通用しないのです。

分離しているので「完全に埋め尽くす」というゴールでさえも(様々な問題が起き)分離してしまい、

その悪の存在が望む「悪だけの世界」は形にならないのです。

つまり、「悪」に埋め尽くされることはないのです。

残念!悪者さんたち!

そして

繋がっていることが前提になっている意識ですと、真実、事実のもとにすべて選択されます。

その選択は自分のためであり、そしてまわりすべてのためのものとなってくるのです。

たとえ「悪」と認識できる行為をしている存在にでさへも、

彼らは進化の途中であると同時に過去の自身であると受け取ることが可能になるのです。

この「過去」という時間概念も

分離しているのと、繋がっているのではまったく別のものになってきます。

今は過去世などは「不明、妄想」と思われているふしがありますが、

繋がっているところから見ると、過去世の存在はごくごく当たり前のことなのです。

それがあったから今があるとわかります。

すべての存在が進化の途中であり、それらの存在と自分は繋がっていて

その進化にはそれぞれ段階があり、自身もさまざま変化してきていて今もその進化の途中なのだと。

分離していた時期、繋がりを忘れていた時期、段階があると。。。

そしてそれらへの「愛」のサポートが自身の役割であるとわかります。

つながりを忘れた存在たちだとしても、

自分が進化するために必要なエピソードを共に共演してくれるありがたい存在だともわかります。

ですので「悪」「敵」とはならないのです。

あそこにいるから敵。

あーなったから悪。

とはならないのです。

大切な友であり、兄弟であり、子、そして親もとなるのです。

家族です。

そして

それらへ湧いてくるシンプルな思い、心。

それは「愛」と表現できるのでないでしょうか。

敵見方関係なく、、、すべては家族。

そしてその心。

宇宙はその振動波で埋め尽くされている。

ということで、

繋がっている世界からは

すべては「愛」で成り立っていてそれが冷めることはないということです。

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