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2016年5月27日 (金)

死 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

「死」という概念はありません。

理由:

地上で「死」と言われるような事柄は

繋がっている領域でも起こるときはあります。

でも滅多にはおきません。

そしてそこにいる存在たちは

それを「死」「死んでしまった」というようには受け取りません。

「変革」「進化」「祝福」と捉えます。

まず「殺される」「老衰」などの自身の意思に反して

それを迎えることはありません。

このようなことは「分離を前提とした社会」で位置づけされるもので

「繋がりを前提とした社会」では起こりません。

なぜか、、、

まず

「死」について考えてみますと、

人類にとっての永遠のテーマのひとつだと思われますが、

それの理由として

その「死の先が不明」というものがあります。

つまり「死」というものが明確にはどういったものなのか説明できない状態なのです。

わたしの

脳や心臓、体が動かなくなったから、、、、死、、、で、そのあとはなんなんでしょ、、、

最近は「前世」というものも信じられてきているようですが、

まだ自身の中で明確にそれを認識している人はごくわずかです。

つまり多くの人が「死んだらわたしっておわり?」と思っているわけです。

こういった状態なので

「必ず来る、、、でも正体がわからないので、できれば来てほしくない、、、」となり、

そしてその思いやストレスをどうクリアにする??となって、

様々な宗教、医学、科学などの分野が「あーだ、こーだ」言っているわけです。

「こうしたらすこしは楽でしょ」的な感じで。

なので

真の解決には至っていません。

まあ、この「死」の問題を解決してしまうと

分離を利用して人々をコントロールしようとしている者は

コントロール不能になってしまうので困るわけです。

なので、ずっと解決しないようにフィルターをかけて真実を見えないようにしています。

「死ぬのは怖いよー」「死んだら終わりだよー」と言い続け

「殺されないようにね」「衰えないようにね」と策(柵)を設け

恐怖している人々を手元に置くようにするわけです。

で、ホントに

人々の恐怖を克服するように策をたて実行し

実現しているのかと言ったら全くそうではないわけです。

多くの人たちが殺され、衰えていっているのです。

多くではなく、、、すべてといっていいですね。。。

これはそれをコントロールしている輩がわざわざ殺していっているというよりは

自動的にそうのような事態になっていくのです。

分離のマジックにかかっていると

自動的にその道になっていくのです。

ベルトコンベアーのように運ばれるわけです。

なんの解決にもならないそのベルトコンベヤーで運ばれているその過程で

人々はなんとか「死」の恐怖から逃れるために

そこから目をそらすものをいろいろゲットし、自分に害がおよばないように武装します。

しかしその恐怖は解消されません。

なぜなら、そうやって武装して武器を持ち盾をたてている状態は

まさに恐怖の最中にやることだからです。

それがそのまま形になります。

真に恐怖が解消されているとしたら

それは

武器を手にすることも盾を設けることも必要ない状態のはずです。

恐怖ではなく安心の中にいるわけですから

戦うこともないし、逃げることもないわけです。

でもいま地上では

戦い続けています。

邪魔なもの、、自分とは正反対ものと対自したときは戦う!

それが「安全、安心」を手にする方法なのだと。

しかし、繋がっている領域からすると

「自分を守るために相手と戦い殺す」という行為や心は

まさに

「自分自身を殺している」と等しいのです。

すべてが繋がっているわけですから

戦おうとしている相手も「自分自身であり家族」なのです。

その相手を

そうとは見失って自由を奪う、、、、

それは結果自分の自由を自分で奪っている、、、、様、、、、

繋がっている領域からすると非常に頭をかかえる行為です。

でも、繋がっているところからは

それが分離からくるものだということもわかります。

自分と繋がっている存在たちを見失って、

寂しくなり、それを解消するために強くなろうとして鎧兜をきて

さらに見えなくなり、目の前に現れたものを

正体不明の不審者と思い込み、恐怖のあまり排除しようとする、、、、。

そして排除した側も

引き続き、武装と恐怖へのストレスで疲れ衰え、機能しなくなります。

この道筋が分離のマジックの効果です。

繋がっている領域では

このマジックはまったく通用しないので

「安心、安全」をゲットしてそれを持続し続けるにはどうしたらようのかを知っています。

、、、、

、、、

、、

まあ、それは、、、

繋がっていることを実感するだけなんですけどね。。。

そのことにフォーカスするだけでマジックから解けます。

そのマジックから解けているところからは

まず、武装し、盾を設ける必要がないので、殺し、殺されるなんてこともありません。

さらに真の安心、安全の中で人々が社会を構築しているので衰えることもありません。

なぜなら

真の安心、安全が実現しているということは

衣食住も安心、安全ということです。

しかもそれは人だけではありません。

そこに存在するものたちが共有できる安心と安全です。

その環境に存在するものたちは意識と連動することによって

決して劣化しないのです。

その者がなりたい自分になれ、進化しかないのです。

その進化の過程でいまのボディを離れ、別の領域に旅をしてさらに進化を続けるという道があるのです。

つまり、自分の意思とタイミングで「死」、、つまり「変革」を遂げるのです。

そしてそれはもちろん自分だけのものではなく、社会全体から祝福されるセレモニーなのです。

そのように役目を変化、進化されていくのです。

ですので、繋がっている領域では

「できれば避けたい死」はなく、「確実に歩んだ成果の変革、進化」なのです。

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寂しさ (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

寂しさは発生しません。

理由:

すべては自分自身と繋がっていることを知っているので

「何かが自分から離れてしまって寂しい!」という感覚にはなりません。

寂しいという価値観がありません。

もちろん、子供の頃には「分離」というものを体験し

それから生じる「寂しさ」とは何かを知ることもありますが、

それは「繋がり」を真に体感するためであって

ずっと体験し続けることではありません。

さらにその「分離」を体験する内容は自身の過去世のアクセスしたり、、、

「分離を前提としている意識の集合体」、、、ま、今で言えば地上ですね、

そこに意識だけ飛ばし、それに参加し「分離とはなんぞや」と知るわけです。

そして自分がもともといる「繋がり」を前提としている社会とは、、、を目の当たりにするのです。

もちろんそこは「平和」が絵空事ではないのでしっかりと見定めることもできるのです。

今の地上で台頭している意識は「寂しさ」です。

これがあまりにも増大しているために

「寂しさ」を超えて「恐怖」「怒り」になってしまっています。

それもすべて「分離していることが前提」になっているために起こることです。

、、、

自分には何もない。

、、、

何かを得なくては。

、、、

得たもの離さないように。

、、、

なんとか離さないように。

、、、

、、

今、地上で

「◯◯を離したくない!」の◯◯にはほとんどのことが入ります。

お金、家族、恋人、家、命、大切なもの、、、、だけではなく

苦しみや恐怖さえも離せない状態になっています。

そして重要なことは

これらを「離さない!離したくない!」という意識、、行為は、、

実は

その離したくないものを「手にしていない」「得ていない」ことと等しいのです。

??

離さないようにしているのだから手にしてるだろ!、、、となるとお思いなるでしょう、、、

しかし

そのことをよーく注意深くみてみると~~~

実は手にするギリギリ手前のところで止まっているのです。

、、

、、、

、、、、

なんでそんなことに、、、

それはとてもシンプルなことなのです。

宇宙に法則はとてもシンプルです。

なので、

「◯◯を離さない!」「離したくない!」と思い、そしておこなうことが形になるのです。

そしてそれは

ほしいものを得ている自分、得たあとの自分の心や姿ではないのです。

私は、、、離さない!離したくない!離さないように!する!という姿が

そのまま形になるのです。

なので、ほしいものをゲットする前、もしくは手放した(思い込みですが)ときの自分なわけです。

本当はお求めのものをゲットし

それを活かしてさらなる希望を叶えていきたいわけですが、

分離を前提としている考え方ですと「お求めのもの」をゲットしても

「離れていってしまうのでは?」、、、「だったら離してはいけない!」という意識が芽生え、

それがどんどん大きくなって

「求めたもの」をゲットしてそれから~~^^、、、の「それから」以降がなくなってしまうのです。

というようにこれは

「求めたものを離さないようにしている」姿であって

結果的に自身が望んでいるものを手にしている姿ではないのです。

、、、、

しかし、分離を前提とした発想からどうしても

「自分の望みを叶えるには離してはいけないものがある!」ということになり

それを持っておくためのサイクルに入ってしまい、、、

結果、、お求めのものが形にならない、、、というわけです。

これが

分離のマジックです。

その意識をうま~~く(ほんとはそんなにうまくないんですがね)利用して

そのサイクルから出ないように仕組みを作り、使用しているのが

今の地上です。

繋がっていることが前提の場合、こういったサイクルにはなりません。

「ゲットしないと!」という意識になりません。

ただただ

ゲットしたいもののところに自分が行って選択したらいいのです。

自分のペースで。

「ゲットすればいい」となるだけです。

もちろん

何かをゲットするには様々なサポートが必要です。

それらの助けがあるからこそ自身がそこまで行き、それを選択しゲットできるということも

理屈を超えて体感、体験します。

そしてそれはどういうことかと言うと、

今、自身がゲットしたもの、ゲットしようとしているものは

それ以前にそれを作り出した存在がいるということです。

そしてその存在もまわりのサポートがあったからこその「その創造」と「現在」なのです。

つまり

自分がゲットしたものというのは、すでにすべてのサポートのおかげで創造され

今まですべての存在に共有されていて、されるべきものであるのです。

繋がっていることが前提の場合

そういったものを「自分のものにだけ!」という意識はうまれてきません。

まあ、それが分離のマジックに反対の

つながりの効果です。

この意識によって「離してはいけない!」ではなく

「決して離れることはない」

「もしも無いのなら、すべてのサポートの上、創造させていただきます」となるのです。

そういった意識から「寂しいな~~」という考えは生まれません。

そういった意識から「離れないで!」という考えも生まれません。

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作業 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

社会が機能するのに必要なものを歳出するために

そこにいる人たちみんなでそれに取り組みます。

その中にはいわゆる「作業」というものがあります。

多くのことをコンピューターで管理されている機械たちが賄ってくれていますが、

人が手を使い作業を行うことももちろんあります。

そしてその「作業」というのは

辛い、永い、単純、過酷、、、といったものではなく

すすんで楽しみながら取り組める内容のものです。

理由:

繋がっている領域にも「作業」はあります。

しかし、同じことを長時間やる作業はありません。

いま地上で「作業」というと

単純なことをながいことをやり続ける、、、という印象をもってしまいがちですが、

繋がっている領域ではこういった作業はなくなります。

まず、経済がないので

その経済を動かすための「たくさんの物」はいりません。

作られたものはみんなで共有しリサイクルされます。

そのシンプルなシステムの中ではたくさんのものは必要ないので

「過酷な単純作業」も必要ありません。

それでも

地上にもある「作業」と同じようなものもあります。

しかし、長時間強いられることはないし、自己の裁量に任せます。

そして、そこから形作られるものが真のその社会のためになるものなので

その「作業」は辛いと感じず、責任感を自然と持ち、

その「作業」ができることを誇りに感じるのです。

地上では

「単純で誰でもできるし、ずっとなんてやりたいと思わない!」というような内容の作業だとしても

繋がっている領域では

そのことが自分やまわりのみんな、、、社会のためになるとわかっているので

互いに責任を持ち合い、取り組めるのです。

地上では物を作りすぎているせいで

その多くが早いサイクルで廃棄されます。

リサイクルではなく捨てられる状態です。

これは、ひいた目でみてみると~~

自分たちが作ったものを、自分たち自身ですぐに役に立たなくして

無視している状態なのです。

こういったことを続けていると、、、

それに携わっている者はやる気が失せます。

しかしそれを止めることもできないので、、、

ほとんどロボットのように動くしかなくなってくるのです。

そしてこのようなサイクルは

意味不明な状況を発生させます。

、、、

その単純な作業は、誰もがやりたい仕事ではないはず、、、

でも誰かにやってもらわないとダメな仕事。

なくてはならない重要な仕事なはずなのに、それに支払われる報酬は僅かです。

たくさんお給料をもらってもいいはずですが、

一番少ないです。

こういった現状から、そういった作業をしている方々を

低収入の生活レベルの低い弱者のように捉え

さらにはそういった領域から目を背ける風潮もできてしまっているのです。

あまり関わりたくない、、、とおもってしまっているわけです。

現時点ではその領域が自分たちを支えているのにも関わらずです。

分離の発想から生み出されている「貨幣社会」を

なんとか維持するためにこのようなサイクルになっているわけですが、

繋がっている領域では人の考えで作られたサイクルは採用していません。

自然にある、、もともとあるサイクルを採用しています。

そのおかげで「お金」は必要ありません。

たくさんの物も、それを売る戦略も必要ありません。

なので、人々はもっと自身のための「作業」に集中できるのです。

「作業」とは仕方なく取り組むものではありません。

真の「作業」とは自身が進化し、まわりに貢献していくための動きと心なのです。

その動きと心で社会が成り立つのです。

みんながOKな。

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