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2016年6月11日 (土)

「分離の心」と「接続の心」の違い

今、地上にある問題のすべては「分離」した意識の集合から生み出されています。

「あなたとわたしは別。」

「わたしは何も持っていない。」

前提が「自分には何もない」、、という意識が今の様々な現象を形にしています。

何もないので、希望のものを得るために探し、求め続ける意識、生き方です。

この分離のマジックにかかったまま意識が拡大、集合すると今の現状ができあがります。

しかし「分離」の反対の「接続」を前提とした意識で行動すると

今までのありとあらゆる問題は解決します。

それぞれの項目が

つながりを前提とした場合、どのように変化し、機能していくのかを記させていただきます。

ご希望の項目をクリックしてくださいませ。

・3月26日

」 「ゴミ」「コンピューター」「お魚」「お酒」をアップさせていただきました〜〜

・5月27日

作業」 「寂しさ」 「」をアップさせていただきました〜

・6月11日

時間 」「仕事」「自由」「宗教」をアップさせていただきましたーー

悪魔

アセンション

あそび

雨(天候

意識

宇宙

エゴ

エネルギー

大人

科学(科学技術)

学校

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金(お金)

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感情

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気候

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お魚

お酒

作業

寂しさ

時間

仕事

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戦争

選択

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地球

地上

辛さ

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天候

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分離のマジックに惑わされないで、、、、

人の心の中の大部分を占めている意識、、、、

「分離」

「ない」という思いが前提になっている。

「ある」と思っていたとしても、それは「離れていく」と思っている。

その思いから「求める」ことになる。

求め続けることになる。

求めているものと繋がったと思っても、それが離れていくと思っているから、、、

実際に離れていく。

だからいつまでたっても平和が形にならない。

大部分の人は心の中が「平和」ではない。

なんとかして、この身体を保たせ、生きながらえるか、、、が人類の宿命だと思っている。

それをなんとかするために、、、、

お金を求める

愛するものを求める

健康を求める

空間を求める

指導者を求める

平和を求める

自由を求める

本当の自分を求める

そして

その求めている姿がそのまま形になる。

求めている。

離れてしまうから。

離れているから。

それがそのまま現れる。

分離のマジック。

そのマジックから解かれた世界。

分離のマジックが無効な領域がある。

求めた瞬間からそれが創造される領域。

繋がりのマジック。

求めているものはすでに目の前にあると知ればいい。

そして希望のものを手にするために動けばいい。

平和を形にしたいのであれば、、、、

平和の心、、、その心で動けばいい。

立ち上がるときも。

歩くときも。

すれちがうときも。

話すときも。

ひとりのときも。

みんなとのときも。

そこからは平和が形になっていく提案と実践が生まれてくるだけ。

分離のマジックに惑わされないで、、、、

繋がりのマジックをオンにしてみませんか?

そしてご自分の封印していた真の根元とも繋がってみませんか?

求め続ける、、、から、、、創造するときではありませんか?

自らが平和を。

「自分が存在している理由」の略=自由=分離のマジックの無効な領域

|

宗教 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

神という存在に対する宗教観はあります。

ただ、たくさんの思想の違う「◯◯教」というものはありません。

ただひとつ

「神(すべて)と自分は一体である」という元となる教えはあります。

すべては繋がっている意識からの教えです。

理由:

地上ではたくさんの宗教がありますが、

繋がっている領域ではただひとつです。

そして

地上の宗教では「神」と「人」は別々の存在とされていますが、

繋がっている領域では「神」と「人」は同じひとつの存在となっています。

まあ、地上の教えの中には「神と人は一体である」と伝えているものはあるのですが、

残念ながら、それが形にはなっていません。

例えば~

日本の神道。

八百万の神、、、これはすべてのものには神様が宿っている。。。という素敵な教えなのですが~~

その日本にいるわたしたちは、まわりの存在たちを自分たちも含めて神様と同じように向き合ってはいません。

実際、、、、神様なんて「思想」の産物でしょって感じです。

なので、お祈りのあとはまたすぐにもとの生活にもどったり、

決まった日がくると神様に心を向けてみる、、、といった感じです。

他の宗教では

「神」と「人」は別の存在で人が目指すものではなく

言うことを聞くことが役目となっています。

実は地上での宗教もその原型は「神と人は同じ存在である」となっています。

(導く役目のある人は神と人は一体であることを体験しているはずです)

しかし、分離していることが前提で、その体験を捉えたり

伝えたりすることでおのずと「分離のマジック」にかかり「神」と「人」が分離してしまったのです。

これはかな~~り昔にかかったものなのですが、

未熟な成長段階にある過程では、どうしてもこの「分離のマジック」にかかりやすいのです。

そのために長い歴史の中で地球(地上)は「人も神である」ことを忘れさせられてきたのです。

神には逆らってはいけない!

崇めなければならない!、、、と。

この思想は今のようなたくさんの教えの違う宗教を発生させます。

なぜか、、、、

まず、今のわたしたち人間は非常に未熟な状態です。

ですので、神を崇める、、という意識もある意味自然なことなのですが、

なにせ未熟なので、それを徹底できないのです。

、、、、

、、、

、、

とある町で、、ある思想のもと「神を崇めよう」とみんなで決めたとします。

しばらくは大丈夫でしょう。

でも少しすると、、、それとは反対のことをするものが現れます。

「できない者」「疑う者」「無関心の者」、、、、。

これは未熟なので仕方のないことでもあります。

自分で「やるんだ!」って決めたとしてもそれが徹底できないのです。

そして

それに対して対処するわけですが、未熟、さらに分離の意識から作られるのは

「多くの規則」と「罰」です。

さらにそれを維持管理していくための組織が作られます。

これが今の「宗教団体」となります。

神と人は一体である、、という教えの宗教があったとしても

分離が前提のもと捉え、作られてしまうと、

「この教えを!この組織を!守らなければ!続けなければ!」となって

神とともに歩む、、よりは、神を守り、隠して見せなくするようになります。

「大事なんだから!」と言って。

このような形で各地で様々な思想の宗教が生まれます。

そしてそれをもっともっとと拡大しようとして、、、、

出会った相手を非難し、攻撃し、戦います。

(見えるところでも、見えないところでも!)

これが今の地上の宗教の現状です。

繋がっている領域からすると

正気の沙汰ではありません。

成長段階の未熟な自分たちの有様を忘れ、

神の教えではなく、自分たちが作った組織を守るための教えを

神からの使命と解釈して、他(実は本人)を傷つける、、、、

自分で自分を刺している、、、なのにそれに気づいていない、、、、

、、、

やばいです、、、、

なにがやばいって、、、、

これってなかなか止められないってことなんです。。。

なんせ、気づいていないわけですから。

自分で自分を刺してますよ~と言っても、そうとはまったく思っていないわけですから

「なに!言ってんだ!」「ふざけんな!」「痛い!!誰がやってるんだ!!」とかえってくるだけなんです。

この状況を見失っている以外になんていいましょ、、、、

本当に今の地上の人たちが未熟ではないとしたら、、、

しっかりとした人間である、、、としたら、

なぜ、今こんなことになっているのでしょう???

世界中の宗教観の違い、思想の違いで戦っている方々よ、、、

あなたが本当に優れていて、みんなを導ける存在なら

なぜ、もっと早く!まともな世の中に導いてくれないのですか?

あなたが優れている人なら、すべての人の思想をまとめることだってできるんですよね?

あなたじゃなくて、崇めている神さまが本当にすごい存在なら

なんで、もっとそのすごさを出してくれないのですか?

戦いが一向に終わりませんけど、、、、?

戦いがさっとすぐに終わってくれる教えはないのですか?

すごい神様なんですよね?

ずっと必死に戦わないとダメなんですか?

ということは相手にはもっとすごい神様がいるかもしれないってことですか?

あ~!

わたしたちが未熟なのでこの戦いはちゃんとするための試練、罪滅ぼしだと、、?

、、、、、、、

ん~~??

なんで?

戦うことが試練や罪滅ぼしになるんでしょう?

だって、今まで同じことじゃないですか?

同じことをするんじゃ、、、まあ慣れていると言いますか、、、

いつもの通り、ダラダラしててもそうなりますよ。

そんなのなんの罪滅ぼしにもならないと思いますが、、、、

今までとまったく真逆なことをしなければならない!、、、とかなら試練だ~~!ってなるかもしれませんが。

試練というよりはただ何も思いつかないからやってるようにしか見えませんが、、、、

掘り下げてほしいんですがね~~

自分たちの信じている教えがなぜすぐに形にならないで

ヒーヒー言いながら戦いを続けなければならないのか、、、、

そこに

素晴らしい教えがあるとして、それをやってるならなぜ

あなたは安心せずに、いつも恐怖し戦いをしているんですか?

、、、、

、、、、と、その彼ら(戦っている人たち)に言っても

分離のマジックの壁はなかなかのものです。

言葉では通じないのです。

その壁を無効に貫通するものがあります。

愛の心です。

戦う心ではなく、慈しむ心です。

それだけが分離のマジックを無効にします。

繋がっている領域では「愛」を採用しているので

たとえ違う道を歩んできた者同士でも戦うのではなく、慈しみ育みことができること知っており

実践しています。

そうすることで違う思想の者同士だとしても

それぞれの目指すところを揺るがさないことで個性として活かされるのです。

なので、繋がっている領域では

ただひとつのもとの教えがあればよいのです。

みんな等しく、神の存在である。。。と

|

自由 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

まさに文字通り

自由です。

地上のように自由を制限することはありません。

地上とはまるで違う「自由」です。

理由:

地上では

すべては分離していることが前提となっているところからの「自由」なので

「完全なる自由」はタブーになっています。

なにかしら制限を作らないとダメなのだ、、、

自由になりきってしまってはダメなのだ、、、

と。

なぜか、、、

それは

「自由になってしまうとそれのせいでまわりに迷惑をかけ害を与えてしまうだろ」

となっているからですね。

つまり

自由=勝手な振る舞い

となっている。

なので、それはやってはいけない!となっています。

うん、たしかに!

まわりのことを無視した勝手な振る舞いはオススメできないですよね。

結局は自分にも害が及ぶはずですしね。

なので、地上では産まれてからすぐに「自由」は制限されます。

しかし

繋がっていることが前提での「自由」には制限はありません。

なんて言いますと、

「そんな馬鹿な!」「めちゃくちゃになってしまうはずだ!」とお思いになるでしょう。

でも本当に制限はないのです。

では

それはなぜか!

「自由」とは勝手な振る舞いをすることではないからです。

繋がっている領域での自由というのは

まわりに構わず自分勝手に行動することではなく、、、

何も奪う必要もなく、、、

何も壊す必要もなく、、、

ただただ自身のありのままの心をまわりのみんなに表明していくことです。

そしてその表明したことに対してサポート、協力してもらい道を進むのです。

その道筋すべてが「自由」というものです。

自由を形作っているものです。

自由は

自分だけで獲得できるものではありません。

何かを壊して獲得できるものでもありません。

何かを奪って獲得できるものではありません。

すべてが揃っていて自由は機能します。

まわりすべての適切なサポートが適切なタイミングで提供、共有されてこそ

自身のありのままの心を、、つまり「自由」を形にできるのです。

みんなの協力が必要なのです。

なので、勝手な振る舞いでまわりみんなを困らせたりしたら意味がないのです。

本当に自分の形にしたいものが形にならないのですから。

これは

まわりのみんなを困らせたから、それに対して嫌がらせをして「自由」を封じているのではありません。

サポートしてくれるはずの相手を無視したやり取りのおかげで

相手の能力が大きく変動してしまうのです。

そして本領を発揮することができずに、結果サポートしきれなくなってしまうのです。

そしてこのことから

ひとつ疑問がわいてくるかもしれません。

「なぜ、協力してくれるんだ?」と。

「どんなことも協力してくれるのか?」と。

、、、、

答えは、、

「そう、どんなことでも協力したい」です。

まわりの存在はすべて。

だって、その協力を求めている相手(あなた)は

繋がっている家族であり、自分自身なのですから。

協力してよりよくなってほしいと思うのは当たり前ですね。

でも、それぞれできるサポートとできないサポートがあるわけです。

場所やタイミング、状態によって。

なので、みんなのサポートが必要なのです。

みんなのサポートでなりたつのです。

そういった自分の自由を叶えてくれる存在に対して傷つけたり

妨害したりすることはありえません。

そこから溢れてくるのは感謝しかありません。

、、、

しかし

地上では、それとは逆のことが起きています。

自由を得るには何かを犠牲にしなくてはいけない、、、となっています。

なので、

何かを壊して自由になる、、、

何かを奪って自由になる、、、

となっています。

、、、、

これはまさに「分離のマジック」にかかっている様と言えます。

自由になるために必要な存在を生かすのではなく破壊する。

自由になるために必要な存在はもう目の前にいるのに盲目になって探し続ける。

その方法で「自由」は手に入っていますでしょうか、、、、??

、、、、

手に入っていないですよね、、、

っていうか、、、「もう自由なんてない」って諦めていませんか?

そんなものを求めること、形にすること自体がナンセンス!って。

なので、、、

手近にある光をなんとか手にしようとする。。。

そして

手にあたった何かを、、、また離さん!とする。

そしてまたそのサイクル、、、

いまの地上のように分離していることが前提になっていると、、、、

手にした自由があったとしても、またそれが分離してしまうので、

それを手放さないようにしようとするサイクルに入ります。

結果、自由を手にして、自由であることを実感して前に進むのではなく

自由が離れていかないように必死になっている姿が形になるのです。

自由を手にした!と思っても実は手にしていないので、

真に自由を体感できずにいるせいで、他の「これが自由だよ~~」という情報に簡単に流されていきます。

結果

「自由が欲しかったら、、、ここから先は行っちゃだめだよ」と

壁を設けられたところに流され閉じ込められます。

これが地上の「自由」の現状です。

なので、

繋がっている領域からすると

「自由」ではなく手錠と足枷となってみえるのです。

真の自由、、、

本来人類が手にする自由とは

あなたが、、、

人類が、、、

この地球が

進化するために、自らが決めてきた役目を果たすことなのです。

それは何かを傷つけたり、奪ったり、隠したり、先送りにする内容のものではありません。

たった今の

あなたの心、全体を現すことなのです。

あなたの思い、強さ、弱さ、してきたこと、これからの本当の望み、、、ありのままのあなた、、、

それが明らかになった時、自由を確認することになります。

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仕事 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

様々な仕事があります。

それは自身のための仕事でもありますが、

全体のための仕事でもあります。

全体とは宇宙全体、どんな大きな存在から

どんな小さな存在までも含む全体です。

なのでその仕事の結果が及ぶ規模は宇宙規模となります。

理由:

まず、繋がっていることが前提での社会ではお金は必要ないので

お金を稼ぐための仕事はなくなります。

なので、今の地上にある仕事のほとんどが無くなるか、

もし残ったとしてもかなりやり方や関わり方は変わるでしょう。

「作業」とも重なりますが、

「仕事」も辛く、過酷なものはありません。

それに関わるみんなが天命としてそれに取り組みます。

それはその仕事がとても誇れるものだからです。

結果として現れる現実が本当に全体のためになっていると実感できるものなので

それに対して自然と責任感が持て、誇りも生まれるのです。

例えば、

自分たちのコミュニティーがよりよく運営されるように他のコミュニティーと連携し情報を共有、管理する仕事。

地球全体がよりよく運営されているか、調査、観測、監視する仕事。

太陽系がよりよく運営されるように調整する仕事。

銀河がよりよく運営されるように見護る仕事。

それらの仕事のためにたくさんの星々を旅し、他の「分離の意識の集合体」が意識変革するためのサポート、、、

これらのことが問題なく機能するための様々な仕事、、、

キリがありません。

でも

今の地上のお仕事ってとても限定されていませんか?

場所や空間、時間や立場、関係、性別、年齢、、、、いろいろ制限されています。

そしてそれは何に使われているかというと

「お金」を動かすためです、、、、(実際には動いていないのですが、、、、)

お金を移動させるためのお仕事となっていないでしょうか、、、?

「いや!家族のためだ!」「国のためだ!」「自然のためだ!」

、、、とおっしゃると思いますが、、、

本当に!。。。家族や国、自然、、、のためですか?

言い切れますか、、、?

、、

、、、

ではどうして、、、、

家族の問題がなくならないのですか?

自然環境の問題がなくならないのですか?

国と国の問題がなくならないのですか?

だって、、、!

家族のために!

国のために!

この地球のために!

皆さん、お仕事をしているんですよね、、、、??

なのに、、、なんで

問題がなくならず、どんどん増していっているんですか?

え?、、誰かが反対のことをしてるって?

ほー、、誰かが妨害してるって?

、、、、、

、、、

、、

ん?、、

あれ?

みんなどんな仕事にせよ、

家族のために、、国のために、、自然のためにお仕事してる!

それぞれ、み~んな、そう思っているようです。

それぞれ妨害をしようなんて思っていません。

ん~~??

なのになんで、

家族のためにならないことばかりが起きるんです?

戦争とか!

日々の戦いとか!

ご自身自体もいつも戦闘態勢を解けずに、怖がったままで、、、

、、、、

、、、

、、

皆さ~~ん

いったい、、普段なんのお仕事をされているんでしょう、、、??

、、、、

って、言いたくなりません?

だって、本当に!

家族のために!国のために!自然のために!自分のために!

仕事をしているんだったら、、、、

お互いを誤解したまま嫌い、そして戦い、崩壊、、、

相手にも自分にも多大なダメージを受けるような自体を引き起こす、、、、

そんなことはしないはずです。。。よね?

決して家族に危険がないように、、、

家族が安心して暮らしていけるように、、、

国と国がいがみ合って戦って、国民が危険さらされることのないように、、、

自然が人の生命活動での害を受けないように、、、

、、、、

、、、

みんなが本当に!

そのお仕事に真に取り組んでいたら、今のようなことにはなっていないでしょう。

残念ながら、上にも書きました「お金」のために働いているので

真に家族のためになる仕事、、

真に国の、、国と国のためになる仕事、、

真に自然環境を維持、発展させる仕事の内容がわからなくなってしまっているのです。

そのせいもあって、

まずは!

家族を守るためにはお金がないと!

国を支えるにはお金がないと!

環境を維持するにもお金が!

もう!

お金がないとダメなんだから!

そのための仕事は~~~!

と、叫んでいる若者たちに、、、

「ふふふ、、、あ、、こちらにありますよ~~」

と、若者たちを取り込もうとします。

コントロールしたい存在たちは、、、、

ここ数千年は

、、、

これの繰り返しです。

ここまでながく続いるので

「仕事ってのは!こういうものだ!」などの価値観が定着してしまっています。

そして誰のためにやっているのか不明になってしまうような仕事や

問題を引き起こす仕事を強制させられてしまっているのです。

やりたくない仕事、、、

辛く、過酷な仕事、、、

でも

繋がっている領域での「仕事」というのは、、、

楽しく、充実する仕事、、、

やりたい!仕事、、、

となります。

それを実際に心と行動であらわすことで

本当に

自分のために、そしてまわり全体のためなる仕事になるのです。

内容もおのずとそうなっていくのです。

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時間 (分離と接続)

前提が繋がっている場合:

地上で捉えられている時間の概念はありません。

時計も必要ありません。

理由:

繋がっている領域では

何時何分などの時計を必要とする時間形態は採用しておりません。

過去、現在、未来、、、など

時の流れや経過をあらわす表現としてはありますが、

生活の中で常に使っているのは「たった今」という時を採用しています。

あとで、、

あしたには、、、

いつかは、、、

などの時間の都合で何かを待たないとだめな状態にはなりません。

常に「今」を意識しています。

「たった今」の心を行動に移します。

そして

時は時間としてだけで機能しているものではなく

空間(すべて)と連動し一体化しています。

時空間として機能するものです。

分離を前提としている考え方ですと

どうしても「時間」と「空間」をそれぞれ

見えないもの、見えるもの、触れるもの、触れないものなどの尺度で分離して捉えてしまうのです。

さらに時計というもので

見えない「時」というものを数値化し目で見ようとします。

この捉え方自体には問題ないのですが、

これに固執してしまい「時は刻んでいくもの」というように決めつけてしまうと

時の全体を見ることはできなくなってしまうわけです。

実際に時をザクザクと刻んでいるために時が分離してしまい

自分の過去や未来、今さえも見えない状態になってしまっています。

ザクザクと刻むことに目がいってしまうわけです。

実はそのことが原因で

「自分がいったい何者なのか」を見失っています。

自分がどんな道を進もうとしているのか、進んでいるのかにファーカスするのではなく

時が刻まれていく様にフォーカスしてしまって「時が過ぎてゆく~~」となってしまうのです。

そして自分がどんなところにいて、どんな方向をむいているのかがわからなくなってしまうのです。

これが

どうなるかというと、、、

分離を利用している者にコントロールされるわけです。

さらにそのコントロール下で

時間のサイクル(ミイラを運ぶベルトコンベアーの速度)を

強制させられることで「死」という価値観が作られています。

そうすることで

コントロールされる側は充分に成長できず、真の姿を見極めることも難しくなり未熟なままでボディを去ります。

この短いサイクルだと「真の姿」を見失っている存在をコントロールしやすいのです。

「早く!早く!」

「もっと!もっと!」

「だめ!だめ!」

「ほらほら!時間がないよ!」

と囃し立てて、真実から目を背けるようにします。

繋がっている領域ではこの手のコントロールは無効となります。

コントロール不能です。

だいたい他の存在をコントロールするなんてことがナンセンスであって

意味のないことだと知っています。

繋がっていることが前提の場合

時のサイクルは宇宙の流れ(自然なサイクル)を採用しています。

その流れに乗るだけでいいのです。

しかもその流れはどこか意図しないところへ行ってしまうようなことはないのです。

なぜなら、その流れと自身が一体となっているからです。

自由自在なのです。

時を分離して捉えるのではなく

繋がっている流れとして捉えることで

自分の過去、未来、今、全部を感じることができます。

そしてその最大の利点は

もし過去に犯した過ちがあったとしても

それを見失うことなく、それを再び繰り返さないための知恵を導き出すことができるからです。

さらにはその先さへも見通すことが可能なのです。

その道があるからこそ進化があるのです。

それが時空間の存在する意味です。

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